吉原 俊雄 | 東京医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科 客員教授前 日本唾液腺学会 理事長前 日本口腔・咽頭科学会 理事長 |
COI: | 未確認 |
現在行われているPCR検査では、インフルエンザ抗原検査と同様に、鼻咽頭ぬぐい液を鼻腔からスワブにより採取する。これは、患者のくしゃみや咳発作を誘発し、医療従事者にリスクをもたらすと、警鐘が鳴らされている。唾液とウイルスに関しては多くの報告があり [1][2][3]、唾液を用いる検査は、鼻咽頭拭い液採取の欠点を補う有用な方法と考えられる。しかし鼻咽頭ぬぐい液と唾液による検査の優劣を論じる前に、次のことを理解しておく必要がある。すなわち鼻腔内の鼻汁の大半は、鼻粘膜線毛運動により、後鼻孔を経て上咽頭から中・下咽頭へ流れ落ち、食道へ嚥下される。一方、咽頭腔を経て、口腔より吐き出されるものもある。したがって、口腔から採取する咽頭ぬぐい液と口腔内の唾液は、明確に分けられるものではなく混在しているのである。また採取される喀痰も、純粋に下気道から喀出されるわけではなく、最終的には口腔の唾液と混合している。鼻咽頭ぬぐい液検査と唾液検査は、手技的に異なるだけであり、基本的には同一と考えたい。また飛沫感染と接触感染の侵入部位は、鼻腔と口腔が主である。これらの部位は、細菌やウイルスに対する感染防御の役割も担っている。
唾液は1日に約1000~1500ml産生される。唾液の水分の大半は、耳下腺、顎下腺で分泌されるが、これに小唾液腺(口蓋腺、舌腺、頬腺、口唇腺、臼歯腺、エブネル腺)由来の唾液が加わる。安静時は、顎下腺からの唾液が60~70%である。顎下腺・舌下腺唾液の排出部は、舌下部(口腔底)である。一方、味覚刺激時には耳下腺唾液が増加する。
われわれは無意識のうちに、多量の唾液を飲み続けており、唾液は消化管へ運ばれている。小児や若年者では誤嚥は少なく、仮に誤嚥しても、反射により多くは下気道まで到達しない。さらに鼻腔粘膜にある鼻腺も、小唾液腺と基本的に同様の組織構造、機能を有している。実際、共通した腫瘍発生がみられる。
加齢によって唾液分泌量は減少し、漿液性から粘調度の高い唾液となる。従って高齢者では、嚥下時の下咽頭から食道への流れ、すなわちクリアランスが低下する。さらに嚥下筋機能低下と気道知覚低下も加わるため、クリアランスの低下は誤嚥性肺炎の要因となる。
唾液には、消化作用、口腔自浄作用、口腔粘膜保護作用、pH調節、さらに後述する抗菌作用、抗ウイルス作用などの機能がある。われわれは無意識のうちに怪我などの傷に唾液を吐く、塗るなどの行為を行うが、唾液の持つ抗菌作用や修復作用を先人は経験から知っていたのである。しかし唾液分泌は、糖尿病、透析、喫煙、ストレスで低下する。さらに多くの高齢者は、様々な疾患を有するため、降圧薬、抗不安薬、抗ヒスタミン薬、利尿薬、抗コリン薬などを服用している。これらの薬物はすべて唾液分泌を減少させる。つまり高齢者は、全身の免疫能の低下に相俟って、唾液分泌量減少による感染防御機能の低下や汚染された唾液誤嚥により、肺炎を重症化させやすい。これに対し、小児や若年者は豊富な唾液分泌による感染防御機構を備えている。感染後もその自浄作用は強力である。
小児(6~12歳)、若年者(15~21歳)、高齢者(60~76歳)の間で安静時唾液量を比較すると、小児群が最多で高齢群は最も少ない [4]。3~5歳、6~11歳、12~14歳の小児の間では、6~11歳群の分泌量が有意に高い [5]。
新型コロナウイルスは、アンギオテンシン変換酵素2(ACE2)を受容体として、細胞内に侵入する [6]。ACE2は鼻粘膜、上皮細胞、気道・肺及び腸管上皮細胞など様々な器官に存在する。大唾液腺と口腔粘膜小唾液腺の腺上皮細胞も同様である[1][7]。なお鼻粘膜と口腔粘膜のACE2量については、当然ながら、粘膜内に無数の鼻腺、小唾液腺が含まれていることに留意したい。
鼻腔粘膜・鼻腺、口腔粘膜・唾液腺に飛沫あるいは接触感染が起こるとウイルスは増殖する。ウイルス量が多い唾液は他者への感染源となるが、一方で1日1000mlを越える多量の唾液排出と唾液のもつ抗ウイルス作用により、ウイルス量と感染力の長期化を一定程度抑制する。すなわち唾液を用いたPCR検査や抗原検査の判定は、検体の採取時期と年齢により異なると考えられる。
感染後大量に嚥下した唾液は消化管に到達した後、腸管上皮細胞のACE2によって結合する。これは糞便中にウイルスが多量に検出されることと矛盾しない。
唾液腺のうち、耳下腺はアミラーゼを含む唾液産生が主である。一方、顎下腺、舌下腺、口腔内小唾液腺からは、ムチンを多く含む唾液が分泌される。これは優位に抗菌作用を有する。免疫グロブリンであるIgA抗体は、様々な種類の細菌やウイルス感染に抵抗する。IgA抗体は涙液、鼻汁、腸管粘液、母乳にも含まれるが、とくに唾液中に多い。
唾液は、様々なウイルスの増殖を抑制する。例えば、HSV、HIV、VSV、EBV、HPV、エボラウイルス、HHV、はしか、アデノウイルス、プリオン、狂犬病、A・C型肝炎、インフルエンザウイルス、ハンタウイルスなどである [8][9][10][11]。唾液抗ウイルス活性の成分としてcathelcidin、lactoferrin、lysozyme、mucin、peroxidase、salivary agglutinin(gp340、DMBT1)、sIgA、SLPI、α,β defensins等が報告されている[11]。新型コロナウイルスに対しても、唾液が抗ウイルス効果をもつかは検証されていないが、その可能性は高い。
このように宿主にとって自身が産生する唾液は感染防御、すなわち粘膜免疫にとって重要であり、糞便によりウイルスを体外に排出することも、宿主には有益な機構である。しかしこれまで示された唾液の抗菌作用や抗ウイルス作用は完全ではなく、唾液中のウイルスの感染性を全て消滅させるまでには至っていない。一方、唾液内にウイルスの多い時期には、唾液は他人への感染源となる。
若年者と高齢者の重症度の差は、免疫力、合併症の有無に左右される。とくに感染頻度の差は、ウイルスの侵入部位である口腔粘膜、唾液腺、唾液が有する抗ウイルス作用の差に影響される可能性が高い。高齢者に唾液内新型コロナウイルスが多いとする報告[3]があるが、これは唾液の抗ウイルス作用低下が関わっていると推測される。鼻粘膜上皮におけるACE2の発現量は、小児で最も低く、加齢により増加するといわれる[12]。同様に唾液腺のACE2も加齢による影響を受けると考えられる。こうした報告から、小児患者が少ない理由としては、ACE2発現量の差が関与する可能性がある。
ウイルス侵入後に、鼻腔粘膜、口腔粘膜から全身免疫を発動するのが腸管本来の役目である。我々日本人が過去、どの程度の種類と量の細菌やウイルスに暴露されたかは興味深い。これまで多くの腸管―唾液腺粘膜免疫システムに関する研究がなされているが [13][14][15]、本疾患の長期的な予測や対応について、免疫学からさらなる提言がなされることを期待する。