田中 美穂 | 日本医師会 総合政策研究機構 主任研究員 |
児玉 聡 | 京都大学大学院 文学研究科 准教授 |
COI: | なし |
中国・武漢(Wuhan)に端を発した新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症(以降、COVID-19)が世界中に蔓延し、いまだ収束の気配を見せていない。WHO(世界保健機関)によれば、2020年6月25日現在、世界全体で900万人以上が感染しおよそ47万人が死亡した[1] 。
COVID-19の場合、肺炎を発症して呼吸困難・呼吸不全等を伴い重症・重篤化し、発症から2週間余りで死に至る事案が報告されている[2] 。このように死に至るまでの時間が比較的短い疾患の場合、十分に話し合いを行う時間や余裕が、患者とその家族、医療従事者の双方にない可能性が高まる。すなわち、生命維持治療を行っても回復する見込みがないと診断された際に治療をどうするかについて、予め話し合ったり準備したりすることが非常に困難となる。
今回のような感染症に罹患した場合、その先の死をあらかじめ想定して治療方針を決定することは困難であろう。さらに、重症患者数に対する人工呼吸器や体外式膜型人工肺(ECMO)の数が圧倒的に少ない事態になれば、「人工呼吸器を装着したい」といった患者の意思が、必ずしも治療方針に反映されない可能性もある[3][4][5][6][7]。
COVID-19に関する倫理的な課題をめぐっては、下記に示したようにさまざまな議論が提起されている。
特に終末期医療に関する議論では、人工呼吸器や集中治療室(ICU)のベッドなどの希少な医療資源の配分と同時に、このような高度な治療を受けたいか、あるいは、受けたくないかという患者の希望をあらかじめ聞いておくことの重要性も指摘されている。
日本ではあまり議論されていないが、諸外国では、つい避けてしまいがちな死の話や終末期の治療について、今こそ話し合うべきではないかということが議論になっている[8][9][10][11]。つまり、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の話し合いをするべきである、ということである。具体的には、COVID-19で重症となったら人工呼吸器を装着するかどうか、呼吸器を装着しても回復できないことがわかった場合に呼吸器を外すかどうか、人生の最期の医療・ケアをどうするか、といった点である。
ACPの話し合いは、日本をはじめ諸外国の政策・臨床において重視されている[12]。ACPは、1990年ごろから欧米や豪州を中心に発展してきた[13]。背景には、1970年代以降、米国各州で法制化された事前指示(リビング・ウイルや医療代理人の指名)に次のような課題が指摘されてきたということがある。
ACPの特徴は、事前指示に示す治療の希望や代理人の指名だけでなく、心配事・これまでの人生で培われた価値観・人生観・医療やケアの目標・病気や予後の理解などさまざまなことについて、患者が理解し、家族や親しい友人ら・医療従事者などを交えて繰り返し話し合い、共有するプロセスであるという点である[14][15]。話し合う内容が事前指示よりも幅広く、話し合いのプロセスを重視している【図表1】。
図表1 |
ACPの定義 |
これまで想定されていたACPの話し合いは、感染症のような急性疾患というよりは、がんなどの慢性疾患を抱えた患者を主に想定していると考えられる。というのも、話し合いをいつ始めるかは自由であり、それまでの人生で培われてきた人生観や価値観、信条、そして、さまざまな気がかりなども含めて、家族や友人、医療・介護従事者らと繰り返し話し合い、共有するという特徴があるからだ。
日本の医療現場で一般的に行われている話し合いは、ACPというよりは、治療を受けることに対する同意に重きが置かれたインフォームド・コンセント(IC)と言える。
ICは、医療行為をする際、医療従事者が患者へ、事前に、当該医療行為の目的や内容、危険性等について説明をし、患者がその実施に対して同意を与えることである[16]。
ACPが話し合いのプロセス全体を指すのに対し、ICは患者(あるいは家族などの代諾者・医療代理人等)が提示された治療行為を受けることに対して同意を与えることを意味する。人生においてどのような時にこれらが行われたり用いられたりするのかというと、ACPは病気になる前からいつでも、話し合いたい時に始めて、人生において何度も繰り返し行うことが一般的である。これに対しICは、病気になって治療を選択する際に、その都度実施される【図表2】。
図表2 |
人生におけるACPとICの関係性 |
ICは、ADやACPが発展する前から欧米を中心に実施され、今日では日本でも定着している。欧米では、歴史的経緯から患者の自己決定権の尊重や治療拒否権が重視されていることもあり、ICには、「医師から提示された治療を受けることへの同意」のみならず、提示された治療を拒否することも含まれていると考えられる。世界医師会のリスボン宣言も次のように規定している[17]。
諸外国では、このようなICというよりはむしろ、COVID-19が重症化するリスクの高い人たちが、あらかじめ、一般的なACP(事前指示書面の作成を含む)の話し合いを注意深く行うことが重要だと考えられている。というのも、ICを行う際には患者本人の同意を得ることが難しいと考えられるので、予め本人の考えを家族や友人ら、そして、医療従事者に伝えておくACP(ADの作成を含む)が大切だということである。
これまで述べたように、諸外国では、さまざまな内容について話し合うという特徴を有するACPが、治療法が確立しておらず、急速に重症化して死にいたる可能性のある感染症の世界的流行時の今こそ重要だ、と指摘されている。
例えば、スイス集中治療医学会は、医療資源が限られている現状において、重症化した場合に人工呼吸器による生命維持治療を望むかどうかを考えてもらうことが重要であり、(高齢者や基礎疾患を有するなど)重症化するリスクがあると考えられている人たちに事前指示の重要性を示し、彼らが事前指示(Advance Directive, AD)の書面を作成できるようにするため情報提供するよう求める、とする声明を出した[18][19]。
また、次の表にあるように、これまでACPを発展させてきた英米やオーストラリア、カナダなどで、COVID-19のパンデミックを受けて、ACPの話し合いに関するガイダンスや話し合いに使用するテンプレートが作成され公表されている。ここでは主に、英米豪のガイダンスおよびテンプレートを紹介する。【図表3】
図表3 |
英米豪のCOVID-19に関するACPガイダンスの例 |
本文中で説明しなかった引用元は次の通り Healthcare Improvement Scotland. Anticipatory Care Planning for COVID-19. https://ihub.scot/acp-covid-19 The Conversation Project. Being Prepared in the Time of COVID-19. https://theconversationproject.org/wp-content/uploads/2020/04/tcpcovid19guide.pdf |
オーストラリア政府が資金提供するACP普及プログラムACPAは、高齢者ケア提供者に対し、意思決定能力のあるケア受容者が次のような行動をとるよう促すことを推奨している[20]。
また、高齢者ケアに従事する人たちが次のような行動をとるよう推奨している。
また、NHS(英国の国民保健サービス)イングランドのガイダンスおよびテンプレートは、わかりやすい言葉を使い、健康情報や治療の希望のみならず患者の人となりについて明らかにできるようになっている[21]。
今回のパンデミックに合わせて作成されたガイダンスの初版では、例えば、「わたしについて」という項目では、「あなたの人となりについてどうぞ私たちにお知らせください。例えば、あなたが元気な時にやっていること、スケッチや絵を描くこと、サイクリングなどです。また、3人のお子さんのお母さんであるとか、5人のお孫さんの祖母であるとか、あるいは、あなたは普段から社交的か、といったことなどなんでも結構です」との助言が明記されていた。さらに、「わたしが知っておいてもらいたい三つのこと」では、病院に入院したくない場合はその点を記載すること、侵襲的な治療と言った生命維持を優先することよりも、症状管理などの快適さを優先したい場合にはその点を記載すること、その他知っておいてもらいたい病気やストレスを感じる対処法について明記するよう助言がなされた。
また、本ガイダンスの改訂版は、具体的な項目の説明をする前に、COVID-19のACPに書かれた情報が、医療チームとの話し合いや医師らが治療に関する臨床的な意思決定をする際に有用であることを強調している。また、このACPは、特定の治療を拒否するための法的な事前指示ではないことも明記している。
民間の普及啓発プログラムRespecting Choices(選択の尊重)は、通常は有料でプログラムを提供しているが、現在はCOVID-19関連のリソース(医療従事者や一般個人、医療代理人を対象にしたCOVID-19用の対話ガイダンス)を無償で公開している[22]。
特に、医療従事者がACPの話し合いをビデオ会議等によって患者と行う際に、医療代理人の選定や、治療と療養場所に関する患者の希望を明確化し、話し合いを通した意思決定を強調している。
治療や療養に関する患者の希望については、具体的に、1) 病院ですべてのケアを受けて生命維持装置を受けることになってもできる限り長く生きたいか、2) 病院で必要があれば効果のある治療を受けてQOLや快適さが得られるのであれば長く生きたい、ただし、意味のない治療はしない、そして心肺停止となった場合は自然に死にたいか、3) 病院での入院や生命維持装置の装着を避けて、快適さやQOLに焦点をあてて残りの人生を生きたい、そして心肺停止となった場合は自然に死にたいか、といった内容を確認するよう促す。
これに基づいて、延命のため全ての治療、あるいは、現状の健康状態を維持するため選択的治療、快適さの保持に焦点を当てた治療を提供するか、といった治療方針についての決定を行う。
さらに、COVID-19罹患時の意思決定において重要なのが、医療者が誠実であること、わかりやすく説明することである。例えば、英国・アイルランド緩和医療協会のCOVID-19と緩和ケア・終末期・悲嘆ケアのガイダンスは次のように述べている[23]。
残念ながら限られた医療資源を使うことが出来ないとしても、あるいは、高度な治療を行っても亡くなる可能性が高いとしても、最後まで患者やその家族の不安に誠実に対応し、適切な終末期のケアを提供する必要がある、ということである。このガイダンスは緩和ケアの学会が作成していることもあり、緩和ケアの理念である「生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチ」[24][25]という考え方が反映されている。
日本でも、日本緩和医療学会のCOVID-19関連特別ワーキンググループが、患者や家族との対話の仕方やコミュニケーションのはかり方に関する諸外国の取り組みを翻訳して紹介している[26]。また、各医療機関や施設等で独自に取り組んでいる場合もあるようだ。ただ、現状では、国や学会がCOVID-19パンデミック時のACPガイダンスを具体的に作成・公表するには至っていない。
その背景として、一つは、PCR検査体制の不備や病床が逼迫する状況があったものの、人工呼吸器が足りなくなり、治療方針に関する患者の意思をあらかじめ確認して「装着したくない」という患者を特定しておかなければならないような状況にならなかったということがある。
もう一つは、感染症のパンデミック時において、社会的に弱い立場にある人たち(例えば高齢者や基礎疾患のある人たち、諸外国では人種・民族的マイノリティなど)がそうではない人たちより大きな影響を受けることが考えられ、ACPが強制される、あるいは、社会的圧力を感じて治療方針を選択せざるを得ない状況が発生することへの懸念があるのではないか。
ACPの話し合いをするにあたって主に以下の二点に留意すべきである。一つは、ACPの話し合いを患者(もしくはCOVID-19に罹患していないがハイリスクとされる人々)とその家族らに強制してはならない、ということである。諸外国では感染症の世界的な流行時に高度医療の提供に必要な医療資源が不足する事態に直面しているという背景事情がある。いかなる状況でもそれが唯一無二の話し合いの理由となってはならないと考える。実際にこれらのガイダンスや書式を用いてどのように話し合いが行われているのかはまだわからないが、今後、その動向を注意深く検証する必要がある。
第二に、慢性疾患罹患時の意思決定とは状況が異なるという点がある。つまり、これまで述べたように、COVID-19には、慢性疾患とは異なり、発症すると突然重症化する、あるいは、重症化したのち死にいたるまでの時間が非常に短い場合があるという特徴がある。病気に対する心構えができないまま、突然選択を迫られる患者やその家族の身体的、心理的、社会的、スピリチュアル的(霊的)な痛みは計り知れない。これは同時に、患者や家族に対応する医療従事者らの負担も通常の話し合いや意思決定時に比べて非常に大きいことを意味する。ケアの受け手と担い手双方の心身の痛みや負担にどのように寄り添い対応したらいいのか、十分な検討が必要である。
ただ、これらの懸念事項については慎重に検討する必要があるものの、医療従事者が誠実で明確なコミュニケーションを紡ぐことや、患者とその家族のさまざまな痛みに寄り添ったケアを提供することが重要だということは、通常の意思決定において大切なことと同様である。
日本では、COVID-19パンデミックにおいて、罹患して重症化した場合に高度医療を受けるかどうか、自分が最後まで大切にしたいことは何か、予め話し合っておく必要があるというような議論があまりなされていない。このような時こそ、日本でも「人生会議」をすることが大切ではないか。
自分ががんなどの慢性疾患だけでなく、COVID-19のような感染症にかかって命が限られた状況になった時、どのような治療を望むのか、あるいは、望まないのか、病院への入院を望むのか、あるいは、望まないのか。どのようなことが気がかりだったり不安だったりするのか。医療従事者や家族らにこれだけは知っておいてもらいたいということは何か。自分の考えを誰に知っておいてもらいたいか。いろいろなことを家族や親しい友人などと話し合うということが重要と考える。
(諸外国のACPガイダンス・フォーマットの翻訳版など詳細は、日医総研リサーチエッセイNo.83 https://www.jmari.med.or.jp/research/research/wr_701.html を参照すること)
(Webへのアクセスはいずれも2020年6月25日)