加藤 敏 | 小山富士見台病院院長 自治医科大学名誉教授 |
(2020年12月8日寄稿)
2020年1月中旬から中国・武漢で新型コロナの集団感染が発生していることがテレビ、新聞、ネット等で大々的に報じられた。重症患者を含む患者対応で病院はてんてこ舞いで、医療崩壊の悲鳴をあげる医療者の姿がテレビに写しだされた。これを皮切りに、世の中はコロナ問題一色となってしまったように思う。 古代ギリシャの時代のマラトーンの大戦(490BC)でペルシャ軍は激しい群衆心理的なパニック状態に襲われた。この危機的事態が、牧神パーンによって引き起こされたと信じられたことから「パニック」の術語が案出された。新型コロナウィルス(COVID-19)を元凶として現代世界を襲うパニックは、この元の意味に近いところがあり、報道を通じ増幅された群集心理的な集団パニックの性格を合わせもつ。
1月23日には武漢が都市封鎖(ロックダウン)に踏み切ったことが報道された。同時に、新型コロナウィルスによる肺炎の患者を専門的に受け入れる病院の建築を始め、10日間で完成させ、人民解放軍の医師たち計1400名が医療に参加したことも報じられた。1月30日に世界保健機関 (WHO) は「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態 」を宣言した。日本では、2月3日に横浜港に到着したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の乗客の間で、陽性者が増えっていった様子が連日報道された。2月にはイタリアで集団感染が始まった。WHO は2月28日にはこの疾患が世界規模で流行する危険性について最高レベルの「非常に高い」という判断を下した。3月にはアメリカ、特にニューヨークで集団感染が生じた。(時期特定)日本でも集団感染の報告が相次いだ。日本でのコロナパニックはこのようにして始まったように思う。
実に目まぐるしい新型コロナ感染の動きで、未曽有の出来事に人々は、メディアの報道にくぎ付けになった。グローバル化の時代、感染症がいかに早く世界中に伝播するのか、そして情報も即座に世界中に広がることをよく示す。武漢を端緒に恐ろしい速さで自己増殖的に広がり、人を死に至らしめる新型コロナウィルス(COVID-19)の勢いは、人間に及ぼす圧倒的な「強度」からして、当初は、とりわけ中国での集団感染勃発の段階では、「了解不能」と特徴づけられる人間の理解を超える急性精神病の様相を呈している。病態の本体がわからず、理にかなった合理的な治療法が見つからないため不気味さは増し、正常心理でも人々に恐怖をかきたてる。自分がコロナに感染するのではないかという不安感をもたらす。また家族同胞は死に目に立ち会うことがないまま、隔離した状態で亡くなっていく患者の報道に接し、人々はなんとも痛ましい気持ちになる。
筆者がコロナウィルスの悪性の増殖を精神病に類比するのは、人間にとって現れる強烈な心像においてのことである。日本人にとってコロナウィルスの最初の急性期エピソードは、2020年2月、3月あたりといえるかもしれない。現在、2020年11月の時点で第2波につぐ第3波という形で急性期を繰り返しながら、先の見えない遷延期(慢性期)が続いている。
世界の人々を襲うそうしたコロナ危機が、人々のメンタル・ヘルスに様々な影響を及ぼすことは間違いない。コロナ危機が人々に及ぼす精神的な影響を広義のストレスとして大別すると、①人々に正体不明の未知の出来事が人々に不安、恐怖を掻き立てる原発性の急性ストレスの側面と②コロナ危機による感染予防のために政府により打ち出された外出自粛、ソーシャル・ディスタンス等の指針により仕事面、学業面など日々の社会生活の停止や遅滞により続発性に生じたさまざまな慢性ストレスに分けることができるだろう。
わが国では、2011年3月11日に福島原発事故を併発した東日本大震災が突如起った。それは、人間の対処能力をはるかに超える大自然の威力また核の威力が自己増殖をした精神病性の未曽有の出来事であった[1]。この時も、人々は、とりわけ東北地方では、津波の恐怖また放射能被爆の恐怖といった原発性のストレスと日々の社会生活の被害による慢性ストレスの双方があり、多くの人々に大なり小なり不安、抑うつをもたらし、臨床面でも、PTSD、気分障碍等の顕在発症にいたる事例が多数あった[9]。今でも東北地方ではその影響は続いている。現在われわれが直面しているコロナ危機は、世界全体に波及を続け、1年がたってもなお衰えをみせない勢いを呈している点でも、東日本大震災をしのぐ強度をもつ悪性の出来事である。精神病理学者ミュラー・ズアーは、統合失調症急性期の体験を「人生の意味を電光石化のごとく根底から変化させる出来事」で、他者には追体験が不可能な出来事であると定式化した[5]。「コロナ危機」は、人々にとり「人生の意味を電光石化のごとく根底から変化させる出来事」にほかならない。実際、世界の人々に、経済、政治、哲学など多くの領域で人々に新たな生き方を考えさせている。統合失調症の出来事と違うのは、コロナ危機が人々の間で共有され分かち合うことができる出来事である点である。コロナ危機に際して世界の人々は共通の悪に直面させられ、皆無力な状態にある。こうしてコロナ危機は人々に連帯的関係を作り出している。絶えず抗争を繰り返している人類史においてこのようなことは希有な現象ではないだろうか。
筆者は精神科病院で外来、病棟の勤務医として医療にあたっている。コロナ危機が誘因となって初めて精神的失調をきたした人、また既に精神障碍の既往、あるいは通院中で病状の悪化をきたした人に出会っている。コロナ危機は、人間の生活のさまざまな側面に影響を及ぼすことに応じて、多様な精神障碍を引き起こす。それは、不安・抑うつをもたらすなどの形で人間存在を触発する悪性の衝撃だといえる。
コロナ危機の衝撃によって事例化した自験例は、①文字どおり急性期ストレスの形で、この衝撃に人間存在が直接的な仕方で触発されて事例化する精神障碍と、②多く慢性期ストレスの形で、この衝撃によってもたらされる、例えば人との親密な交流の機会を奪われるなどの社会生活の変化により続発的に触発されて事例化する精神障碍に大別できるように思う。前者の原発性に触発される事例は、気分障碍性の精神病、また統合失調性の精神病などからなる急性精神病である。こちらの方がコロナ危機に引き続き、より早期に生じているようである。後者の続発性の衝撃に触発される精神障碍は神経症性の病態、軽症のうつ病、燃え尽き(burn-out)を含む適応障碍などである。これらの精神障碍の発症時期は、概してコロナによる原発性の触発事例に比べ、衝撃により続発性に触発される分、発症は遅れる傾向があるように思う。
まず正常心理に近く理解しやすい後者の病態を呈した代表的な事例を示すことから始め、これに続き代表的な精神病例に言及したい。コロナ危機が人間の精神面にいかなる影響を及ぼしているのかを考えるためのささやかな資料になると思う。なお。匿名性保持のため、一部改変している。
神経質なところがあるが、人付き合いが良い70台前半の婦人である。子育てが終わり、町の認知予防のパート・スタッフとして働くかたわら、仲間でフォークダンスの集まりを作り、毎週1回は皆と踊り、その会計係も引き受け、毎日明るく過ごしていた。3月コロナのため、それまでやっていた当人の役割がすべてなくなり、人と会う機会もなくなり、自宅で夫と二人だけで過ごすようになる。胃の調子が悪くなり、食事量が減る。それまでと打って変わって元気がすっかりなくなり、ちょっとしたことで不安になってしまう。4月下旬、近医内科受診。5月上旬精神科に紹介になる。外来加療で一時改善したものの、6月下旬から再び不安が強くなる。日本でコロナが収束せず、かえってコロナ感染者がふえているニュースを見て、不安が悪化している。「世の中、終わりになっちゃう」とコロナの不安を述べる。「コロナになったら大変」と自分のことも心配する。「コロナがはやったら、自分は駄目」「どうしよう、どうしよう」と落ちつかなくなる。「集中力が出ない、この状態でコロナになると心配」とも述べる。ニュースを見ても頭に入ってこないと集中力低下を認める。認知症も疑い、脳画像等の検査を行っているが、認知症は否定される。「コロナで何もなくなった」「やることがなくなった」とコロナのため自分の生きがいがなくなったことを嘆く。うつ病の診断のもとに抗うつ剤等を処方したが奏功せず、コロナ感染の遷延と並行するかのように、病態が遷延している。
まとめると、これは2020年3月に始まるコロナ禍による初発の事例で、町の活動等がなくなり、生きがい喪失が起り、抑うつが生じる一方、日本でコロナが収束せず遷延している7月頃から、自分がコロナに罹るのではないかという「コロナ心気不安」とでもいうべき心気症状が出現し、集中力低下、無気力などの制止症状と「コロナに罹患するのではないか」、「世の中が終わりになっちゃうのではないか」というコロナ関連の不安が続いている。当初、診断的に不安を伴う中等度のうつ病と診て治療をしていた。しかし、抗うつ剤等の薬の効果が良くないこと、コロナ禍に平行して病像が推移し持続していることから、神経症性の病態が支配的と診た方が適切と思われる。ICD-10[11]に即せば、不安症状と抑うつ症状が同程度に認められる、不安障碍のなかの「混合性不安抑うつ障碍」の診断となる。これはプライマリケアの現場で多い病態である。
もともと不安障碍で通院していて(あるいは不安障碍の既往があり)、コロナ禍で不安、抑うつが加わり悪化した(あるいは再発した)事例もある。例えば、60代後半の女性は、10年前頃からパニック発作を起こし、不安障碍の診断で精神科外来通院を続けていて、時々不安が強くなるが、長い経過では孫ができてからは孫の面倒をみるのが生きがいになって、以前より元気に過ごしていた。2020年3月から、自分だけでなく、孫を含め息子の家族がコロナにかかることを心配した。息子夫婦もコロナを心配し、孫を患者に預けることを控えるようになったため、孫の面倒をみる機会がなくなった。折に付けいつもいろいろ相談していた息子との接触も減る。定年退職した夫と二人だけの生活時間がさらに長くなり、夫との諍いがふえる。6月頃から、「息が苦しい」、「胸が苦しい」などの不安を伴う身体不調が出てくる。同時に、寂しくなり、食欲も落ち、元気がなくなる。
この事例は、当初、明らかな主題をもたない不安障碍であったのだが、コロナ禍を契機に不安はコロナの主題に焦点化されるようになり、次いでコロナ感染の恐怖のため孫の面倒をみることがなくなるという生きがい喪失のため抑うつが加わっている。要するにコロナ禍により、単なる不安障碍からコロナを主題にした混合性不安抑うつ障碍の病態に変化した。コロナ遷延とともに、混合性不安抑うつ障碍が遷延する様相を呈している。
現在、日本においてコロナ禍のため心身に影響を受ける人々の中には、提示したように混合性不安障碍の病態を呈する事例の予備軍がかなり多いことが推察される。コロナ禍において、①コロナ禍により、大なり小なり人々の日常生活々や社会生活が制限を蒙ることによる広義の生きがい喪失による抑うつと②自分、また自分の愛する人がコロナに感染しないかという不安をもつのは正常な心理であると言えるからである。
コロナ禍を背景に元気をなくし気分が落ち込む一群の精神的失調に対して「コロナうつ」という呼称が人口に膾炙している。「コロナうつ」の少なくとも一部は混合性不安抑うつ障碍と診断されると思われる。提示した事例のように、コロナに感染するのではないか、(さらにはコロナのため日本、世界が滅びてしまわないかなど)という不安をもつ人々は少なくないと思われる。提示した2例は精神病理学的には心理的な機制で生じている神経症性の病態であると見なされる。しかし、脳内神経伝達物質の明らかな変化をきたし、患者に強く押し付けられる希死念慮をもたらす精神病性(内因性)うつ病の病態(重症うつ病エピソード、ICD-10)に急激に移行することもある。提示事例では希死念慮は一切表出されなかった。その点でも少なくとも有意な内因性うつ病の存在はないと筆者は判断した。しかし、この種の事例でも重篤な内因性うつ病の病態(重症うつ病エピソード)に陥り、希死念慮が出てくることに注意をすることを怠ってはならない。
コロナ禍により日常の生活が失われたことを契機にした適応障碍の事例もある。自宅を離れアパートに住んで大学に通っていた学生(10代後半)は、コロナのため3月から大学の授業が休みになり、アパートで一人、友人と会うことなく過ごしていた。手もち無沙汰にしているうちに、6月頃から元気がなくなり、不眠となった。食欲低下はない。実家に戻り、親に連れられ、7月に外来受診。医師の前でよく自分の状態を話し、表情は自然である。軽度の抑うつが主たる病態で、コロナに罹るという不安はないという。2か月余りの外来加療で元気になっている。日常の生活パターンが失われたことが要因として軽度抑うつ状態になった適応障碍と診てよい病態である。
人々はコロナ禍において、国の指導により「自粛生活」またソーシャル・ディスタンスを遵守することを要求され、仲間との日常的な交流がなくなったり、学校が休みになる、あるいは仕事が減る、経営困難になる会社や店の職員が解雇されるなど、各種のストレスを蒙る。そうしたストレス要因により反応的に抑うつ的になる、あるいは不安になる人々は非常に多いと考えられる。ICDやDSMの診断分類に照らせば、適応障碍と診断される事例、あるいはその予備軍である。コロナ禍の終息の展望が見えない日本では、コロナ禍を契機にしたこの種の適応障碍が最も多いかもしれない。先にいわゆる「コロナうつ」の一部はコロナを契機にした混合性不安抑うつ障碍にあたると述べたのだが、適応障碍と診断される事例も多いと思われる。混合性不安抑うつ障碍と同様、これが持続して、重篤な内因性うつ病(重症うつ病エピソード、ICD-10)へと病態が深まる事例があることが少なくないので、早期の適切な治療的対応が望まれる。
コロナ禍で常連だったライブコンサートが全面的に中止になったため、情動不安定が増した20代後半の事例(独身女性)もあった。中学校の時、いじめを受けた高校卒業後、就職するが職場での人間関係がうまくいかず、就職するが長続きせず、職を転々としていた。高校在学時に人気アイドルグループにはまってコンサートに行きだし、会社に入ってからは1年におよそ10回を数えるようになっていた。遠いところでも新幹線で行き、かなりのお金を使った。ハイタッチをしてくれる、サインをしてもらうのが楽しみだった。そのためライブを糧に、何とか仕事をしていたと言う。時々不安、衝動性が強くなり、両親にあたることがあった。コロナのためコンサートがなくなり、両親に自分に対する昔の態度、しつけなどについて責め、怒り、暴力的行動を繰り返すようになる。
6月、外来に紹介になる。年齢にしては幼く「死にたい」と述べ、情動不安定が目立つ。神経症の亜型と位置づけられる病態であるが、ICD-10に基づくと情緒不安定性パ-ソナリティ障碍と診断される事例である。コロナ禍で、常連だったライブコンサートがなくなり、寂しいと述べる。外来通院してもらい、薬物療法に加え、精神療法的にかかわり、一応の落ち着きをみせてくる。
日本では、アイドルのライブコンサートが心の支えになっている若い女性(あるいは男性)は少なくない。この種のコンサートには5万から6万人の参加者は珍しくないようで、莫大の数の参加人数に驚く。この参加者の中には、本事例のように年齢相応の人格成長が遂げられていない、精神分析的にいうと親との間に適切な対象関係を築けていない未熟なパーソナリティの持ち主がかなりの数いることが見込まれる。そういう女性にとって、コロナ禍によりアイドルのライブコンサートが全面中止になったことは代償的な心の支えの喪失につながり、その影響は甚大であるだろう。
コロナ禍の日本における自殺の増加の内訳では、比較的若い女性に多いというデータが出ている[4]。筆者は自験例をふまえて、コロナ禍の自殺事例には提示したような「アイドル依存」の事例が含まれている可能性があるのではないかと危惧する。
以上、コロナ禍により比較的多くの人にも潜在的にありそうな正常心理に通じる病態を一瞥した。これらの事例における不安や抑うつなどの明らかな臨床症状の発現時期についていうと、日本で非常事態宣言が出された4月以降の時期が多い。外来で加療可能だが、コロナ危機の遷延と同期して、臨床症状は長く続く傾向がある。次に、通常の理解を超える精神病の事例を提示する。これらの事例の妄想、幻覚などの臨床症状発現の時期は、武漢での集団感染勃発に同期して、あるいは日本でのクルーズ船感染が起った2月、3月の時期に同期していて、広義の神経症群に比べ早い。治療的には入院を要する事例が多くなると思われる。自験例ではすべて入院加療を要した。
忙しい会社勤務をこなし、もともと社交性もあり、やり手の優秀な人物(男性70代前半)である。定年退職後自宅でゆっくり過ごしていた折り、2020年3月、コロナウィルスが騒がれるようになってから、発熱しているのではないかと毎日体温を何度も測った。しかし、熱はずっとなかった。何もする気がなくなっている抑うつに加え、不安、不眠、食欲低下による体重減少のため、4月に入り近くのメンタルクリニックを受診し、うつ病の診断で通院を始めた。後に振りかえって、「武漢でコロナが発生し、ニュ―スで1日何度も報道されて、大変なことになったと心配した」、それまでは、NHK大河ドラマを面白く見ていたのに、「コロナのことがあって、テレビで朝から晩までそのことばかり」「コロナのニュースすべて見入って見た」と言う。そして「3月に入り、怖くなってテレビを見なくなった」と言う。約1か月、武漢のなまなましいコロナ危機の映像をテレビでつぶさに見ていて、患者はただならない緊張、驚愕、不安に襲われたことが察せられる。
5月には、不安が強くなり、「自分が生きていられるのか」と心配になる。「自分は駄目だ、馬鹿だ」「こんな人間はいてはいけない」と言う。6月に入り、「コロナに罹った」「妻、子供にうつしている」と言い出し、警察につかまると怯える。「自分の病気が犬にうつった」とも言い、それまで可愛がっていた犬に接触しないようになる。さらに同居の親族が「ほかの人に感染させてしまう」と言い、会社に行くのを止めようとする。
症候学的にまとめると、患者は自分がコロナに感染していると思い込む「コロナ心気妄想」(仮称)を抱き、これを基に家族、愛犬に感染させ、周囲の人に感染させ、悪いことをしていると確信する「コロナ加害妄想」(仮称)を呈しているのである。
また、内科検査のため行きつけの病院に行ったものの、待合室で「他の人が目配せで自分のことを臭いといっている」「臭いと言われている」、といって病院から家に帰ってしまう。コロナ心気妄想につながる自己臭妄想と言える。家では横になっていることが多く、食事はあまり食べない。
入院適応のため、6月に紹介され来院。初診時、「臭いからだでは病院の中に入れない」と言う。入院には、「他の人に感染させてしまう」からできないと言う。説得して入院となる。個室に入ってから、「私みたいなものが入院していていいですか。何か悪いことになってしまう」「いつでも追い出してください」と言う。このように、入院時に「コロナ加害妄想」が著しかった。
加えて、「便が胸までつかえている」「そのため食事が入らない」と述べる。たしかに便秘気味ではあるが、便は出ている。「便が胸までつかえている」という確信は、うつ病性の心気妄想といえる。腸の動きは、「コロナで悪くなった」と述べる。コロナ心気妄想を基底にして妄想が展開をみている。
世界のコロナ危機に連動する形で発症をみた妄想性うつ病の事例である。入院加療をして比較的早期に寛解をみる経過からして、うつ病性急性精神病とみることができる。ICDに基づく診断では、「精神病症状を伴う重症うつ病」の事例である。
従来から、自分は「何の価値もない駄目な人間だ」などという無価値の主題、及び、「もはや治らない不治の病にかかった」という心気主題、あるいは「胸まで便がたまっている」という心気主題などを繰り返す堂々巡りの言説は、特に更年期、初老期の妄想性うつ病(メランコリー)に特徴的なものであった。その意味では、本事例は典型的な妄想性うつ病である。ただ、「コロナに罹った」「コロナを人に感染させてしまう」というコロナ心気主題、コロナ加害の主題が妄想の中心をなしている。このような妄想主題は、コロナ危機によって初めて出現をみたことは言うまでもない。
薬物療法、支持的精神療法で妄想は消退し、もとの元気な姿が見られるようになり、約2か月で退院している。コロナのニュースを熱心に見ることはなくなり、見ても動揺することはなくなっている。庭仕事などをして毎日を過ごし、良好な寛解をみている。
実はこの事例は、約20年ほど前に、会社で転勤になり単身赴任をしたおり、うつ病になり、2か月休職をしている。この時は妄想は認められず、集中力低下、不眠が中心の単純性のうつ病であった。この時心療内科に短期間通院しただけで、精神科通院はずっとしていない。その後長い期間、多忙な仕事をこなし安定した生活を続けていた。今回、コロナ危機に原発性に触発されて妄想性うつ病を初めて発症した事例である。
次に、女性例をあげる。
50代前半の主婦で、学童保育の仕事をしながら、主婦業もこなしていた。そのなか、2020年2月から武漢に始まるコロナ禍をテレビで注意して長い時間見て、コロナウィルスの感染を深刻に心配した。テレビで流される感染予防の指針を参考にしながら、学童保育の職場で感染対策に力を注いだ。後に振り返り、「初めてのことばかりで、大変だった」と後に回想する。3月近くのショピングモールでコロナ陽性者が出たことが報道されて、コロナの心配が強くなった。5月に入り「自分がコロナに罹っている、大変だ」と家族の前で言い出す。この「コロナ心気妄想」の出現に同期して、多弁、多動となり、「誰かにつきまとわれている」「私を殺すんじゃないか」など被害妄想が前景に出てくる。自宅で家族に攻撃的になり物を投げつけるなどという精神運動興奮も出現してきたため、6月に入院となる。入院してからも周囲がおかしいという周囲変容感、自分が狙われているなどという被害妄想が述べられる。被害妄想、精神運動興奮が前景に出た時点では、コロナに感染しているというコロナ心気妄想は認められなかった。
薬物療法、支持的精神療法により約1か月で妄想や激しい精神運動興奮は消退をみた。その後、軽度の抑うつ的な状態を経過し、2か月余りで退院し、外来通院とする。改善してから、入院前後の激しい精神運動興奮のことは想起できず、夢から覚めたようだとも述べる。それゆえ、急性期の頂点では非定型性精神病の病態へ一時的に深まったと考えられる。コロナ感染に対する不安、恐怖、学童保育での感染対策で忙しく、これによる心身の疲弊、生徒、家族を感染させてはいけないという気配りなどが要因となり、コロナ心気妄想の出現に続き、被害妄想を伴う非定型精神病の病像をもつ躁病(精神病症状を伴う重症うつ病エピソード、ICD-10)の発症をみた事例である。
この事例は、10年ほど前に、父の死を契機にうつ病に罹患し、外来通院し、良好な寛解を見て、治療終結をしていた。この時の病像は集中力低下、不眠を主として外来で対応可能な質のもので、今回の病像とはだいぶ異なる。コロナ禍という未曽有の大きな出来事が、病態を重篤なものにしたといえる。病態の基本はうつ病、ないし躁うつ病である。
以上提示した躁うつ病圏の事例で特徴的なのは、コロナ危機に触発されて急性精神病の形で発症をみていることに加え、自分が「コロナに感染している」と確信する「コロナ心気妄想」に加え、他人に自分が罹っているコロナを他人に感染させてしまうという「コロナ加害妄想」とでも呼ぶことが可能な妄想確信が出現している点である。ほかにも精神病性うつ病の自験例で、コロナ禍を機にコロナ心気妄想とコロナ加害妄想が認められた。まだ推論の域をでないがコロナを他人に感染させてしまうという加害妄想は、躁うつ病患者に多く、他者配慮性が影響している可能性があるかもしれない。次に示す統合失調症の自験例では認められなかった。もっとも、他人に悪い影響を及ぼすという加害妄想は統合失調症で出現することがある症状なので、コロナ関連の統合失調症でこの加害妄想が出現することは否定できない。
躁うつ病を患う人は、もともとの性格からして、困った人がいれば自発的に面倒をみる世話好きで、テレビドラマで悲しい場面になるともらい泣きをするというように、周囲に対する感情的な共鳴性と他者配慮性が高い。近所の人が亡くなったことを知り、悲嘆を自分で全面的にもらい受けるかのように、いとも容易にうつ病を発症(ないし再発)することもある。提示した2例とも元来、感情的共鳴性及び他者配慮性が高い。筆者は、少なくとも自験例の躁うつ病事例の発症機制に関して、コロナ危機の衝撃がこの感情的共鳴性と他者配慮性を通じ、患者の心情を激しく触発して精神病性逸脱をきたしたと考える。
もの静かで優しくまじめな大学生(20代前半)で、1月下旬からコロナの影響で授業がなくなり、下宿のアパートで一人暮らしを続け、コロナのニュースをスマホでよく見ていた。2月に入り、コロナのことが心配になり、スマホでコロナのことを調べるようになった。自分がコロナに罹っているのではないか、という心配が出てきた。4月に入り、カラオケ喫茶で一日過ごしたりしていた。友人に意味不明な内容のメールを送る。また家族にも「これまでありがとう」と唐突なメールを送る。話がまとまらず、興奮していて様子がおかしいので、家族が本人を実家に連れ帰る。声を突然あげたり、泣き、落ち着かず、外に出ていってしまおうとする。この時点では、テレビのニュースは見てすぐ消すようになる。
4月上旬、家族に連れられ外来初診。発熱、呼吸器症状はないが、カラオケにも行きかなり動きまわっているため、病院としてはコロナ感染が怖いので、駐車場で窓越しで、医師はマスク、防護服をつけ話す。「脳と口が直結している」「自分の脳と友達の脳が直結している」「脳の共有が起った、友達との共有」などと興奮気味に語る。「自分が男か女か」と思ったとも言う。緊急入院の適応だったが、コロナ感染を懸念し、外来で投薬して、訪問看護をし、1週間発熱等の身体症状がないことを確認して、入院とした。
入院したことに関し患者は、「入院するつもりはなかったのですが、ただ、最近は自分でも気分が落ちている感じがしていました」、さらに「元々のきっかけは、自分がコロナを予言していたことなんです」と述べる。4月7日発令の「緊急事態宣言が気になる。国民のことを考える」と述べる。この言葉は、政府が出した緊急事態宣言が患者にとり「世界没落」を示唆するメッセージとなったことを考えさせる。
入院してから、気分高揚、多弁が目立つ。実際、患者は「頭がフル回転している」と語り、「いろいろな回想をする。3月下旬から、自分が「殺される、狙われていると思っていた」とも述べる。コロナに関しては、「コロナウィルスのことは、今はあまり気にならないです」と語る。
病態として、急性期において、多弁、感情高揚が目立ち、広義の躁的状態が出現したものの、「脳と口が直結している」「自分の脳と友達の脳が直結している」という言葉に裏付けられる自我障碍、また「自分がコロナを予言していた」という言葉に示される特有な妄想(予言体験;島崎敏樹[8])などが認められることから、統合失調症妄想型と診断するのが妥当である。この診立てもとに治療を行い、約3か月で妄想、興奮はおさまってきて、寛解状態になり5か月で退院し、外来加療とした。集中力低下が残遺症状として認められ、不全寛解の状態である。
本事例では、1月の武漢に始まるコロナ危機に触発されて、急性発症に先行する前駆期(2月、3月)に自分がコロナに感染するのではないかという不安(危惧)が目立っていたが、コロナに感染したという「コロナ心気妄想」の結実には至らない。これに関連して、他人に感染させてしまうという「コロナ加害妄想」も認められない。3月に始まる日本のコロナ危機に連動する形で、4月のコロナ危機の衝撃によって患者の実存の総体が揺さぶりをかけられたかのように一種の世界没落体験をもたらしたことが窺われる。急性期の頂点では緊張病性病態に入りながら、総じて妄想と躁的状態が優位な妄想型統合失調症と診てよい事例である。発病の状況因として、なにより①1月に武漢でのコロナ禍が報じられたこと、日本でも患者が発生し、コロナ危機が現実のものとなったことに加え、②大学の授業がなくなり、生活リズムが奪われたことも挙げられる。
次に、コロナ危機を契機にした再発例をあげる。
20代前半に緊張病性興奮で発症し入院加療をした後、良好な寛解を得て、会社勤務をしている女性(40前半)である。2020年2月インフルエンザに罹患し、体調を崩し、会社を少し休む。出勤し始めて、3月上旬より電車通勤していることもあり、コロナになったのではないかといった心配が出てきて、不安のため、近医内科を頻回に受診する。特別にPCR検査をしてもらい陰性だった。しかし、漠然とした不安がおさまらず、夜、全く寝なくなり、携帯で相手を選ばず「大変なことがおこる」「死んでしまう」などと強い不安をまとまらない言葉で述べる。さらに、自分で電話をして救急車を何度か呼ぶ。そのため入院とする。
コロナに罹っているという主題は明らかでないものの、自分が死んでしまうという強い不安が認められ、緊張病性の精神運動興奮と捉えられる。3か月余りの入院加療で急性精神病状態は消退して退院し外来通院となる。コロナ危機を状況因にして20年ぶりの再発をみた事例である。ちょうどコロナ危機の時期に、インフルエンザに罹患し、微熱が気になっていることが一つの誘因になっている。
この事例も、いま提示した統合失調症初発例と似て、前駆期に自分のコロナ感染を心配しているが、躁うつ病圏の事例とは違い、自分がコロナに感染しているというコロナ心気妄想、コロナを他人にうつすというコロナ加害妄想の結実をみることなく、一挙に急性期に突入して、自分が死んでしまうという不安からなる緊張病性興奮が病像の中心となり、コロナの主題は後景化する。穿ってみれば、患者の不安はコロナ危機が自己の没落として幻覚・妄想されたものといえるかもしれない。
東日本大震災を契機に再発したのに続き、今度はコロナ危機を契機に再発をみた事例である。30代の時、会社に勤めていて、他の会社の陰謀が自分に対して行われているという被害妄想を抱き、統合失調症を発症した。完全寛解をみて、再び職場に戻った。2011年3月11日東日本大震災が起こり、これに即座に影響されて翌日には、「地球が滅びる」と叫び、激しい精神運動興奮が始まった。これは、10年余りの寛解状態が続いているなかでの、東日本大震災という大きな出来事に誘発された再発で、初めて精神科病院での入院加療を必要とした。5か月余りで改善し、外来通院に移行した。幻聴、妄想が時々出現し、作業能力低下、社会性のせばまりが進み、慢性化の兆候が見られていた。
そして、2020年1月下旬、家族との会話が急になくなり、一人で意味不明な言葉を呟く独り言が一日中認められた。食事をとらなくなってしまい、急激に状態が悪化したため、緊急入院となった。本人の悪口を人々が言う声や噂する声が耳元で聞こえたり、その人の姿が頭に浮かんでくるという。家族によると、1月武漢でのコロナ報道を見ていて、急におかしくなったという。患者も後に改善してから、1月のコロナ報道には驚きましたと回想する。東日本大震災後9年たっての2度目の病勢増悪である。東日本大震災の時は、1日にして急性の精神病興奮が出現した。今回のコロナ危機に際しては、1月の武漢でのコロナ危機報道にいち早く影響されて1週以内の病勢増悪が生じた。そこではコロナに感染しているなどという個別の主題は認められなかった。 この統合失調症再発例が、筆者が臨床現場で出会ったコロナ関連精神障碍の最初の事例である。
統合失調症はかすかな兆候に気づき強烈に感じる鋭い感性をそなえている。コロナ危機に際して、この事例だけなく既述の統合失調症初発・再発事例にも「兆候空間優位性」(中井久夫[6])が前景化するといえる。コロナ危機という精神病性の出来事は、「遺伝子―言語複合体」[2]としての主体を文字どおり全面的に触発し、精神病性の病的体験を生じさせるとみることができる。あるいはこうもいえる。コロナ危機で初発ないし再発をみた統合失調症の患者は、精神病性の出来事としてのコロナ危機に文字どおり「連動」してしまう。
もっとも長期に入院している統合失調症患者は、概してコロナ禍に関する目まぐるしいテレビ報道に接していても、自閉の鎧をもっているおかげか、コロナに感染するという心配は表明されることはなく、精神的に揺るがない。とはいえ、長期に入院している患者で次のような事例もあった。10月に入り食事をとらなくなった。よく聞いてみると、次のような妄想を語る。「武漢にアメリカ軍が10万近く集まっている。ロシア軍も来ている」と言う。コロナ感染は「終わっている」と言う。このスケールの大きな妄想的語りは、病態悪化の時期や妄想内容などからして、コロナ危機に触発されたものであることを強く考えさせる。妄想が展開する場所が「武漢」にあることが目を引く。
躁うつ病でも統合失調症でも、コロナ危機が状況因になって急性精神病の発症(再発)に至る事例があることが示されたと思われる。少なくとも自験例をふまえてのことだが、双方の発症機制の共通点と違いがある程度浮き彫りになったように思う。共にコロナ危機という未曽有の衝撃が患者を激しく触発する。しかし適切な入院加療により、比較的早く急性期を脱し寛解に至る。
発病機制について言うと、躁うつ病では、患者の元来の感情的共鳴性・他者配慮性を通じて心情が触発されるのに対し、統合失調症では患者の実存全体が触発される。急性期に突入するまでの期間では、統合失調症の方が概して早い。急性期に入ってからの症状を比較すると、躁うつ病では、コロナ感染の主題がコロナ心気妄想、さらに引き続くコロナ加害妄想の形で少なくとも急性期病態のある段階まで認められるのに対し、統合失調症では急性期精神病状態に入ると、前駆期に心配していたコロナの主題はなくなり、特定の主題を欠く緊張病性病像が多い。
医療の領域において「医療崩壊」といわれるほど、コロナ感染患者の治療に携わる医療従事者は、コロナ罹患の恐怖をもちながら、また家族等周りの仲間に感染させてはいけないという心配をしながら、長時間の激務を余儀なくされている。ニューヨークの大学病院救急部の部長としてコロナ医療に献身的にかかわっていたローナ・ブリーン医師(49歳、女性)が自殺をしたことが、2020年4月27日付けのアメリカの多くの新聞で「英雄」として報じられた[10]。人格的にも優れた非常に優秀な医師で、うつ病等の既往はまったくなく、誰にも全く予測できない出来事だったという。日本なら過労自殺として労災認定される事例だと思われる。診断的には、突然、自殺の挙に出てしまう点からしてうつ病ないし気分障碍を検討してよい病態を呈していた可能性がある。筆者の見地からすれば、職場での過重労働を契機に発症するうつ病は職場結合性うつ病(ないし職場結合性双極障碍)である[3]。またコロナ医療にかかわっていた看護師で自殺している事例が3月、4月の段階で欧米から複数報告されている[7]。今後わが国でも、コロナ医療にかかわる医療従事者のなかに職場結合性うつ病(気分障碍)をはじめとした精神疾患が増えていくことが危惧される。
2019年5月28日に「燃え尽き」(Burn-out )がICD-11に採択されることが発表された[12]。それは、医学疾患とは別の章「健康状態に影響を与える要因、ないし健康サービスとの接触に影響を与える要因」で記載されている。つまり、仕事に特化した「職業現象」(occupational phenomenon )で、顕在化した慢性職場ストレスに起因する症候群と定義される。症状として、「エネルギーが枯渇した、あるいは疲弊したという思い」「自分の仕事に対する心理的隔たり」「仕事への否定的感情、ないし不信」、 「仕事能率の低下」があげられる。
ICD-11は職場におけるメンタルヘルスの重要性を説き、燃え尽きをその重要な症候群としてあげているのである。抑うつと不安は経済に大きな影響を及ぼすという問題意識からして、燃え尽きは公衆衛生学の側から提唱された概念という色彩を強くもつ。燃え尽きは医学疾患ではないだけでなく、精神障碍とも認知されていない。その意味でスティグマの問題がなく、コロナ禍における人々のメンタルヘルスを考える上で一定の有用性をもつ概念だと思う。
他面で、燃え尽きを、精神医学の専門的見地から診断を試みると、適応障害だけでなく、混合性不安抑うつ障碍、不安障碍、軽症抑うつ、不眠症などと診断される事例が少なくないと思われる。筆者の見地からいえば、精神病理学の視点がないと、燃え尽きに対する的確な理解が得られないように思う。例えば、いま言及したコロナ医療の前線で治療にあたっていた医師、看護師の自殺を単なる燃え尽きによると診るには無理があるように思う。仕事で燃え尽き、心身疲弊したため自殺に至る振舞いは了解が難しく、「心身疲弊」と「自殺」の間には断絶があるとみるのが妥当なのではないだろうか。与えられた仕事に傾注し、「燃える」のは、与えられた任務を遂行すべく本能的に遂行能力の「ギアを上げ」、緊張が高まる「適応性躁状態」と捉え、自殺は、病態が、自分自身で自分の状態を判断できる「神経症段階」[3]に引き続いて生じる、もはや自分が病的であるという洞察が失われてしまう「精神病段階」[3]、つまり精神病性(内因性)うつ病においてなされたと捉えると、彼女らの自殺に対し多少とも高次の了解ができるのではないだろうか。
いずれにせよ、日本において医療関係の従事者だけでなく、コロナ禍のためかえって仕事が多くなり、仕事荷重になり燃え尽きに陥る人々が増加していくことが危惧される。筆者はIT関連の企業の従業員で、残業が続く多忙な仕事をした末に希死念慮をいだき、精神病性うつ病(重症うつ病エピソード、ICD-10)と診断される燃え尽き事例を診ている。コロナ禍が遷延化すればするほど、燃え尽き事例が増えていくことが考えられる。
その一方で、小論で広義の神経症の事例を通して指摘したように、コロナ禍により他人との親密な交流の機会が失われる、さらに仕事がなくなる、毎日の生活をするためのお金に不自由するなど、さまざまな形での生きがい喪失を余儀なくされ、「コロナうつ」と呼ばれるうつ状態になる人が増えていくことが懸念される。自殺予備軍になりうる人々である。
最後に、コロナ禍での人々のメンタルヘルスに対し精神医学的検討が行われていくことが望まれるという問題意識から、警察庁が報告している自殺統計に目を配っておきたい。国を挙げての自殺予防対策が功を奏し、年間3万人を優に超える時期が終わり、2010年から19年まで10年連続して減少を続け、2019年は計2万人169人で、これまでで最も少なかった。ところが、2020年7月に前年同月比2.6%増、8月17.8%増、9月10.0%増と7月以後毎月増加を続け、10月には実に39.9%増という結果が出ている[4]。10月の自殺者を男女別でみると、男性の21.3%増に比べ、女性が82.6%増となっており、女性の増え方が著しい。また、若い世代の自殺が増加傾向にある。
こうした統計知見の要因についてまだ正式な検討がなされていないように思うが、自殺の増加がコロナ禍の遷延が始まる時期にあたる2020年7月からである点からも、まずもってコロナ禍の影響を考慮にいれるのは当然である。参考に2020年1月に前年同月比0.2%減、 2月10.2%減、 3月5.8%減、 4月17.5%減、5月14.9%減、6月0.4%減で、特に4月と5月は有意な減少率を呈している[4]。そうした自殺者減少はコロナ危機が生じてまもない急性期の時期にあたる。あくまで推量の域を出ないが、この時期はコロナ危機の衝撃に人々は圧倒され、自殺が減少したことが考えられる。この統計知見も、2020年度の日本における自殺の推移が、コロナ禍の影響を強く受けていることの傍証となるのではないか。
こうした統計知見を筆者の個別臨床の見地をふまえて考えると、2020年7月から増加をみた自殺者の中に、適応障碍、燃え尽き、混合性不安抑うつ障碍などの病態から始まり、判断能力に障碍をきたし、あたかも神隠しにあったかのように、自死の道を進んでいってしまう精神病性うつ病(重症うつ病エピソード)に陥った事例が少なくないことは間違いないだろう。自殺予防の観点らも、コロナ禍の渦中にある人々のメンタルヘルスを考える上で、精神病性うつ病(重症うつ病エピソード)を頭においておくことが必要であると警鐘を鳴らしたい。