島田 悠一 | コロンビア大学医学部 循環器内科 助教授コロンビア大学病院 肥大型心筋症センター 研究主任 |
COI: | なし |
この寄稿では、ニューヨーク市内の大学病院の循環器内科医として第一線で診療にあたってきた筆者が他院の医療従事者との議論の中で得た情報の中から、特にPCR検査についてまとめることとする(必ずしも当院の情報や施設としての意見を反映したものではない)。
なお、文中にニューヨーク州という表現が多く出てくるので、その規模感をまず解説したい。
ニューヨーク州は面積でいうと北海道と九州を合わせたくらいの広さがあり、第一の都市ニューヨーク市から第二の都市バッファローまで車で行くと7時間程度を要する。人口は2000万人ほどである(ちなみに、東京都と埼玉県の人口を合わせると2000万人くらい)。
まず、ニューヨーク州における一日あたりの累積感染者数【図表1】を示す。これは、以降の項目に記したそれぞれの日付が感染拡大のどの時点に該当するのかを明らかにし、その時点での累積感染者数に照らし合わせることができるようにするためである。この図を見ると、ニューヨーク州における一日あたりの新規感染者数のピークは4月中旬あたりであったことがわかる[1]。
日本とは状況が全く違うので(ニューヨーク州は第一波が非常に大きく、現在は回復期にある)、この記事の内容を日本の現状に直接当てはめることはできないことに留意されたい。
図表1 |
ニューヨーク州におけるCOVID-19累積感染者数 |
https://www.statista.com/statistics/1109721/new-york-state-covid-cumulative-cases-us/より改変 |
ニューヨーク州においては感染拡大が始まった早い時期から、州知事の強いリーダーシップに基づいてPCR検査数を増やしてきた。
感染者第一号が確認された3月1日から数えて45日目の4月15日までの累積PCR検査数は、50万件(平均すると一日約1万件)であった。
4月25日時点での一日あたりのPCR検査数は2万件であった。4日後の4月29日には一日あたりのPCR検査数が3万件となり、これは人口10万人あたりに換算すると154件で人口当たり世界最多の検査数となった。
5月17日には一日あたりのPCR検査数が4万件となり、6月4日にはこれが一日当たり5万件に増加した。
以上のように、ニューヨーク州では急速にPCR検査数が増加した。次に、なぜこれが可能になったのかを解説する。
ニューヨーク州におけるPCR検査数が、驚くべきスピードで増加した背景にはいくつかの要因がある。
まず、ニューヨーク州やニューヨーク市が検査を推奨したことが挙げられる。現在でもニューヨーク市のウェブサイトには「症状やリスクに関わらず全てのニューヨーク市民が受けるべき」との記載がある。
次に、街の中の至る所で検査が受けられるような体制を整備したことが挙げられる。具体的には、病院や診療所のみならず薬局でも検査を受けることができ、それに加えて州や市が設置したPCR検査所やドライブスルー検査所がある。例えば、現在ニューヨーク州には700か所ほどの検査所がある。
さらに、検査を受けるための制限を無くしたことが挙げられる。つまり、医師が検査すべきと判断した場合はもちろんのこと、医師がオーダーしなくても本人が希望すれば、基本的に全員がPCR検査を受けられる体制になっているのである。
その他の要因として、患者の経済的負担を無くしたことが挙げられる。州や市が設置したPCR検査所では全て無料、その他の場所(病院、診療所、薬局など)でも基本的には保険会社に請求が行くので検査自体の患者負担はない(ちなみに、保険によっては若干の検体採取手技料などがかかる場合があるので、ニューヨーク市のウェブサイトではこの点を確認してから検査を受けるようにとの注意書きがある)。ちなみに保険を持っていない人は安い(または無料の)保険に入ることを検査所で勧められ、その保険が費用をカバーするようである。
最後に、PCR検査が陽性だった場合の報告システムについて触れたい。全ての検査所は陽性患者の情報を州や市に報告する義務があり、これによって州や市は感染状況を把握している。これはオンラインの報告システムを使って行われる。この情報は最終的には(個人情報を除いた上で)CDC(アメリカ疾病予防管理センター)に報告される。
ここで述べてきた要因によってニューヨーク州での検査数は飛躍的に増加した。この原動力となってきたのは、州知事の強いリーダーシップである。
上記のような体制が整備されているため、症状や接触歴がなくても個人的に検査に訪れる人もいる。
症状があるために病院などを受診しそこで検査を受ける人ももちろん多くいる。
検査や手技、手術の前にはPCR検査を受けることを患者に義務付けている病院も多い。
各病院で検査を行うことが出来るため、迅速診断が必要な場合には早いと数時間程度で結果が出る。
接触歴がある場合のPCR検査の優先順位については、CDCが以下の基準を発表している[2]。
今まで述べてきたように、ニューヨーク州では医療従事者または本人が必要と考えた際にいつでもPCR検査が受けられるような環境が整えられてきた。この項目では、経済活動の再開においてPCR検査のデータがどのように役立てられているのかについて具体的に解説する。
まず、多くの人がPCR検査を受けることによって誰が陽性であるのかが明らかになり、ひいてはCOVID-19患者の入院数、死者数、ICUベッド利用数などの指標を正確に把握することができる。
さらに、ある地域の人口あたり何人がPCR検査を受けているかを調べることで、その地域のデータがどのくらい信頼できるものなのか評価できる。
具体的には、ニューヨーク州は以下の7つの基準に基づいて段階的に経済的活動を再開してきた。
これらの7つの基準のうち4つは十分な数のPCR検査が行われていることを前提としている。
このように、ニューヨーク州における経済的活動再開の政策決定においてPCR検査はなくてはならない情報源となっている。
前の項ではニューヨーク州における経済的活動の指標とPCR検査の重要性について解説した。この項では、実際にPCR検査の結果により経済的活動再開計画が変更された例を紹介する。
ニューヨーク州ではもともと経済活動再開の一環として、いずれは店内での飲食を許可する計画であった。しかし、経済活動再開後に基本再生産数(1人の感染者が何人に感染を広げる可能性があるかを表す指標)が1.0を超えて増加を始めそうになった。この時点で当初の計画が変更され、店内での飲食は引き続き禁止されることとなった。
これは、PCR検査を多く行うことによってのみ得られる情報に基づいて政策が変更された例と言うことが出来る。実際、経済活動の再開が最終段階に入った現在でも店内での飲食は禁止されている。
これまでの項ではニューヨーク州でどのようにPCR検査数を増やし、その結果を活用してきたかを解説した。この項では、その背景にある理念の説明を試みる。
PCR検査に関しては大きく分けて二つの目的・利用法がある。一つは検査結果を個人の治療方針の決定に利用する場合、もう一つは多くの検査結果を集計して集団としての(つまり、市、州、国単位での)行動方針や政策の決定に利用する場合である。
事前確率や偽陽性・偽陰性が問題になる可能性があるのは前者の場合、つまりPCR検査を個々の症例の方針決定に利用する場合であって、市や州などが集団全体の現状と傾向を把握するために多くのPCR検査を行ってその集計結果を利用する後者の場合とは目的が異なる。
ニューヨーク州が取っている戦略は後者、つまりできるだけ多くのPCR検査を制限や負担なく行うことによって集団全体での感染者数の割合やその増減の傾向を非常に高い精度で把握し、それによって導き出される指標(例:実効再生産数)に基づいて政策を決定(そして場合によっては調整・変更)する、というものである。
このようにPCR検査に基づいて集団としての戦略を決定するためには多くの検査数が必要だが、数が多くなればそれだけ正確なデータに基づいた政策決定が出来、また政策にも説得力が付与される、という理念に基づいてニューヨーク州政府の方針が決定されているように見える。
この寄稿が日本でのCOVID-19による被害を最小限に食い止める一助になることを願ってやまない。