石川 義弘 | 日本生理学会 理事長横浜市立大学 副学長前ラトガース大学 教授・病院指導医 |
COI: | なし |
2020年2月1日に横浜港に戻ったダイヤモンドプリンセス号に、1名のCOVID-19感染が確認された。これが1ヶ月にわたりマスコミ報道が続いたクルーズ船騒動の発端である。乗員乗客はクルーズ船にとどまり、当初は発熱者や有症状者にだけPCR検査が施行された。陽性者は船外の病院に転送され、陰性者は船内に隔離された。この過程で脳梗塞や心疾患などの急変患者が発生し、地元の横浜市立大学救急医学教室を中心に船外に搬送されたが、この際に問題となったのが急変者の感染確認であった。
やがてPCR検査体制の拡大に伴い、濃厚感染者だけでなく全乗客へと対象を拡大することができた。最終的には全員(3711人)のPCR検査が施行され672人が陽性とされたが、検査陽性だが無症候者も少なからず見られた。3月1日には乗員乗客の下船が完了したが、このわずか一か月間に、ゾーニングなど感染隔離の重要性、無症候感染者、同一人の複数回の感染検査の必要性、患者の追跡情報など様々な提議がなされた。また、感染は陽性だが、軽症者と重症者で搬送先を分けるという、患者と医療機関の層別化搬送の導入は、その後の医療崩壊防止の一助となった[1]。
3ヶ月後の現在は、あたかも日本全体が一隻のクルーズ船になったようである。4月28日現在で日本の累計感染者数は13,576人、死亡者数は376人に上る[2]。ちなみにアメリカでは感染者総数981,246人(72倍)で死亡総数が55,258(146倍)であり[3]、2倍の人口を考えても日本以上にはるかに深刻になっている。
ダイヤモンドプリンセス号の教訓から、COVID-19感染検査が迅速かつ必要数できないことは、大きな障害となることが認識された。
医療施設では疑い症例を短時間で振り分けることができないし、入院では疑い症例であっても独自の病室、移動経路、検査機材を用意せねばならず、大きな負担となる。さらには不顕性感染の患者が3割程度存在することもわかってきた。
現在でも感染検査の主流はPCRだが、病院検査部での施行にはPCRの実務経験が必要であり、検査時間も長いため処理能力を高めることが難しい。PCRでは遺伝子を極端に増幅するため外来核酸の混入に注意も必要である。
地域の検査センターや検査会社でも処理能力を高めてきているが、PCR実施件数は最も多い東京都でも累計28,315件(10,981人)にとどまり、4,059人の陽性を検出している[4](4月28日現在)。このため、今後はPCRだけの感染検査、とくに医療スタッフや老健などのハイリスクグループ、さらには地域住民の大規模な集団スクリーニングは、人材、設備の観点からも極めて困難と考えられる。
アメリカや欧州の基幹病院でもPCR検査が基本だが、急速に他の検査法の導入がはじまっている。クリーブランドクリニックではPCR検査の処理能力を最大限に高めた後に抗体検査を導入した[5]。抗体検査の検証としてPCRを用いるためである。抗体検査が稼働するようになれば感染既往が容易に判定でき、迅速キットを用いればさらに大規模なスクリーニングも可能になる。抗体検査では血液検体を用いるため、検体採取時の二次感染リスクが低いことも有利である。
世界各地では、抗体検査による一般住民のスクリーニングも開始されている。4月23日のNYタイムズによれば、無症状者3000人を対象にした抗体検査でNY市内では21%、周辺のロングアイランド17%、ウエストチェスター12%であり、その他の郊外地域では4%以下だった[6]。 ちなみにロングアイランドやウエストチェスターには、NY市内で働く富裕層が多い。NY州の郊外地域は、市内に比べるとかなり低い人口密度である。それに対してNY市内、とりわけブロンクスなど低所得者地域では人口密度も高く、医療保険を持たない住民や生活保護者が多く、救急以外の診療では制限を受ける。救急室受診に際しても大変な混雑と待ち時間があり、感染拡大の原因となっていると考えられる。これは我が国の国民皆保険制度と大きく異なる。同様の検査は南カリフォルニアでも施行されたが5%程度である。
いずれも予想以上の陽性率だが、我が国でも慶応大学病院での無症状の術前及び入院前患者を対象としたPCR検査では、6%が陽性(4人/67人)であったことが報告されており[7](4月21日)、COVID-19感染者数は想定以上かと思われる。イギリスやスペインではさらに大規模な住民の抗体検査が検討されたが、抗体自体の性能に疑問がついて中止に至った。
感染症免疫学的検査は大別して、患者検体中のウイルス抗原を検出するものと、患者血液中のウイルス抗体を検出する2種類があるが、現在の主流は後者の抗体検査である。これは抗体検査はウイルスを測定するPCR検査と根本的に異なり、感染初期に感染反応として産生されるIgM、続いて産生されるIgGを主に測定する。一般的には抗体が増えるとウイルスは排除されて感染は改善し、完全治癒後にはIgGのみになる。従ってIgMとIgGを測定すれば、各人の感染経過や免疫状態を把握できる。しかしCOVID-19では抗体産生の時系列は確立されていない。国立感染症研究所の市販抗体検査薬を用いた報告[8](4月1日)では、発症後1週間でも抗体検出は2割であり、大半がIgG陽性となるのは13日以後である一方で、IgMの検出は低かった。カルフォルニア大学サンフランシスコ校からの予備報告でも、陽性率がピークになるのは発症後20日以降であるとされている。
検査に用いるウイルス抗原は、研究室で様々な方法で作製したリコンビナント蛋白だが、複数種類ある。ウイルス表面のエンベロープと呼ばれる膜構造には膜蛋白(M)、エンベロープ蛋白(E)があり、内部には核蛋白(N)がある。さらに王冠状のスパイク突起にはスパイク蛋白(S)がある(コロナ(王冠)の名称由来)【図表1】。スパイク部分は感染時の宿主受容体に対する接着部位となるため、この部分に対する抗体は感染予防力を持つと考えられる(感染中和抗体)。ウイルス内部の核蛋白に対する抗体は必ずしも感染中和力を意味しないが、スパイク蛋白と比較して量が多く、標的となる抗原に変異が入りにくい利点がある。
其々の抗原に対する抗体産生は各人で一様ではないため、其々の抗体検査による診断容易性(既往判定)と感染予防力(治癒判定)は必ずしも一致しない。一部の国では抗体検査による「免疫証明」を出そうとしているが、4月24日のWHOコメントでも抗体の存在が免疫証明を示すわけではないと注意喚起された[9]。
図表1 |
コロナウイルスの構造 |
コロナウイルスの構造と抗原となる膜蛋白(M)、エンベロープ蛋白(E)、核蛋白(N)、スパイク蛋白(S)を示す。 https://www.niid.go.jp/niid/ja/from-idsc/2482-2020-01-10-06-50-40/9303-coronavirus.html |
米国FDAではCOVID-19関連のEUA(緊急使用認可)として、2月4日にCDC(アメリカ疾病予防管理センター)でのPCR試薬を皮切りに、連日のように新しい検査試薬が認可され、4月28日現在では50種類以上にのぼる[10]。大半はPCR関連だが、抗体試薬も4月1日のCellex社を皮切りに8種類が認可されており【図表2】、今後も増え続けると思われる。
体外診断薬の世界最大手であるロシュも独自にCOVID-19抗体試薬を開発し(4月17日)、5月にFDAでの緊急使用許可を取得予定であり、我が国でも5月申請を予定しているという[11]。世界では現在100種類以上の抗体検査試薬が販売されているが、一部の製品はかなり性能が低いと同社CEOがコメントしていることに注目すべきである。4月28日付けのNYタイムズでも、市販14試薬のうち11が信頼できないと報告している[12]。実際に抗体の性能は大きくバラつくことが我が国でも確認されており、海外市販の抗体検出キット4種の予備検討が日本感染症学会から報告されたが[13](4月17日)【図表2】、PCRと比較して感度にバラつきが大きく、検出不能なキットもあった。つまり、海外抗体検査試薬の多くは性能が不十分である。
図表2 |
COVID-19抗体試薬のFDAにおける緊急使用許可(EUA)状況(FDAホームページより改変) |
2020年4月1日より許可された8種類の抗体試薬を示す。 https://www.fda.gov/emergency-preparedness-and-response/mcm-legal-regulatory-and-policy-framework/emergency-use-authorization#covidinvitrodev |
国内でも検査の開発が進んでいる。国内では横浜市立大学が他のヒトコロナウイルスとの相同配列を除いた核蛋白抗原を用いて、ELISAとイムノクロマト法による患者血清中のCORVID-19抗体の測定に成功した(3月9日)[14]。さらにCORVID-19だけを検出するモノクローナル抗体の開発に成功し、国内企業とイムノクロマト法による抗原検出迅速診断キットの開発にも乗り出した(4月20日)[15]。大阪市立大学では米社と共同開発した迅速抗体検査の臨床試験を開始しており(4月15日)[16]、東京大学では海外で開発された化学発光免疫測定試薬を用いて300人規模の抗体価測定を開始する(4月24日)。その他の企業にも海外製の抗体検査試薬が導入されている。
抗体の性能評価については感度と特異度の確定が大切である。さらにIgM、IgG抗体値の測定を、PCR結果と組み合わせた精度検討が必須である。IgG抗体価測定による再感染リスク評価も必要である。いずれも健常者と感染者を対象に、多数の検体での時系列的な検討が望ましい。迅速診断キットによる「定性評価」と、ELISAやEIA法を用いた抗体価測定による「定量評価」は違った特長があるため、両者を組み合わせることでお互いの短所を補える。定量評価において正確なウイルス抗体値の測定方法を確立し、患者抗体値の変化と免疫状態の評価を定め、使用する抗原の特性や他のヒトコロナウイルスとの交差反応性を精査すべきである。その上で免疫の確立した患者検体を正しく同定できる迅速診断キットを構築し、定性検査における指標(感度、得意度、陽性および陰性的中率)を検定すべきである。これが大規模スクリーニングでも信頼できる抗体検査につながると思われ、イギリスやスペインでの大規模な抗体検査が上手くいかなかった原因はここにある。WHOも抗体検査の有用性は認めつつも、現段階では診断法としての正しい評価が不十分であるとしている[17]。
COVID-19制御は季節性インフルエンザと同様であり、診断法、治療薬、そしてワクチン開発が三位一体として開発されるべきと考える。迅速で正確な抗体検査は、患者の層別化を可能にし、医療者の負担と自身の感染不安の軽減に不可欠であり、国民には安心と安全をもたらす。我が国では縦割り意識が強いため、データベースも独自仕様で乱立する傾向があるが、情報の共有と少数データベースへの集約が必要である。
多数の抗体検査開発が乱立するなかでは、明確な患者情報を持つ大規模な検体バンクの利用が望ましい。
抗体検査は今後のCOVID-19制御の鍵と考えられるが、安定供給を確保するためにも複数の国産検査試薬の開発が重要である。