伊藤弘人 | 独立行政法人 労働者健康安全機構 本部研究ディレクター |
本橋豊 | 厚生労働大臣指定法人 いのち支える自殺対策推進センター センター長 |
COI: | 日本医療・病院管理学会相当、日本公衆衛生学会相当 |
自殺(自死)は早逝(premature death)である。個人の自由な意思や選択の結果と考えられる場合であっても、自殺行動に至る直前の心理・健康状態の分析から、その多くは「追い込まれた末の死」であるとされている[1]。家族などの周囲への自死の影響は大きく、一般に1人の自死は残された周囲5人~10人へ負の影響がある[2]。自殺を思いとどまり、生存したであろう期間に逸した個人的・社会的活動による損失は、うつ状態に関連した自殺に限定しても年間0.3兆円 [3]~0.9兆円[4]と推計(2008年)され、間接的な影響を含めると実際はさらに甚大であると考えられる。なお、自殺を「行為」としてとらえるのではなく、人が命を絶たざるを得ない状況に追い込まれる「プロセス」としてとらえて「自死」とする立場もあり、本論では両表現を併存させている。
医療関係者、特に医師の自殺率の高さは以前から指摘されており[5]、近年女性医師の方が男性医師より自殺念慮が高いとの報告もある[6]。疾病の診断・治療に日々腐心し、人々の健康を気遣う医療関係者の自殺による早逝の社会的損失の大きさは計り知れない。
COVID-19の世界的流行の自殺への影響が懸念される。警察庁自殺統計月別報告(暫定)によると、2010年から減少傾向が続いていた自殺者数は2020年7月から上昇に転じている[7]。2020年と2019年の自殺者数の動向を図1に示す。前年と比較すると2020年7月から女性の、8月から男性の自殺者数が増加している。緊急事態直後は社会的支援が高まるなどで自殺が短期的に抑制されるとの報告[8]もあるが、後遺症の影響など未知のことも少なくなく、自殺の長期的な動向は引き続き注視する必要がある。本論では、COVID-19および関連事象と自殺に関する国際的な報告を俯瞰的に概説し、今後望まれる臨床的・社会的対策を考える。
図1 |
自殺者数の動向* |
警察庁が公表している自殺統計から作成した月別の動向を示す。わが国には発見地で計上する「警察庁の自殺統計原票を集計した結果(自殺統計)」と本人の住所地で計上する「厚生労働省の人口動態統計」の2つの統計がある。対象や集計方法に違いはあるが、概ね数%の差であり、本報告では速報性のある前者の統計を用いた。参考:厚生労働省.自殺統計と人口動態統計の違い(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/toukeinosyurui.html) |
*出典:警察庁自殺統計月別暫定自殺者数(https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/jisatsu.html) |
感染症のメンタルヘルスへの影響は、エボラ出血熱や2003年に確認された重症急性呼吸器症候群(severe acute respiratory syndrome: SARS)、新型インフルエンザA (H1N1, 2009年)、そして中東呼吸器症候群(Middle East respiratory syndrome coronavirus: MERS, 2012年)への対応と経験に基づいて、研究成果の蓄積がなされている[9]。重症コロナウイルス感染における精神神経学的所見は、メタ解析の結果、(1)ほとんどの感染患者は精神疾患を発症せずに回復すること、(2)SARSウイルスでは、急性期にせん妄を呈する割合が高いこと、(3)うつ症状、不安、疲労感、心的外傷後ストレス障害 (post-traumatic stress disorder: PTSD)、そして長期的には希少神経精神疾患症候群に、臨床医は注意する必要があることが指摘されている[10]。
ただし、COVID-19と自殺に関しての研究は多くはない。米国では1918~1919年のスペインインフルエンザのパンデミック期[11]に、香港では2003年のSARSの流行期[12]に自殺者数の増加が観察されている。しかし、現代の各国の社会状況に応じた検討が必要である [13]。
感染症のパンデミックは、不安・恐怖、イライラ、睡眠障害、物質依存、精神疾患の発症・増悪をもたらす[9, 10, 14]。メタ解析によると、感染症における有所見率は、不安症状で31.9% (95%信頼区間: 27.5-36.7%)、抑うつ症状は33.7% (同: 27.5-40.6%)で通常より高率であった[9]。COVID-19を含む公衆衛生上の緊急事態は、感情的な反応に加え、不健康な行動や行政の指示に従わない行動として表現されることもある[15]。なお、ここでいう「不安症状」「うつ症状」は誰もが経験する異常事態に対する正常な心理的反応も含まれており、「社会での整備が望まれる仕組み」で後述する通り、薬物治療が必要な精神疾患である不安障害やうつ病に限定されないことには注意が必要である。
一般住民を「不安」の程度で分類すると,適度な不安は感染対策に必要であるが,過小の不安は非現実的な楽観により感染拡大のリスクとなる[16]。パンデミックに起因する人々の不安と行動については、2003年のSARS [17]や2009年の新型インフルエンザA (H1N1) [18]において観察・分析され、理論化の試みもなされている[19 20]。ただし、感情的で経験に基づく直観的な行動に支配されやすい傾向は見いだされているものの[18]、結論を導くまでには至っていない。リスクコミュニケーションの考え方に基づく、適切な情報の提供が重要である。なお、精神医学の観点からの示唆[14]とCOVID-19罹患時の意思決定に関する示唆[21]は、有識者からの別論を参照されたい。
COVID-19の感染拡大の防止のための方策には、自主的な外出自粛に加え、行政による感染者を対象とした宿泊療養・自宅療養や就業制限・営業制限(infection containment strategy)により、日常の行動・活動への制限が伴う。自殺リスクや衝動性は、日常の行動の制限によるメンタルヘルスへの影響を通して高まる可能性がある。自粛の影響、家庭内暴力・児童虐待リスク、飲酒問題、強制力を伴う隔離の影響に関してまとめる。
自粛を含む行動制限のメンタルヘルスへの影響に関する総説[22, 23]によると、心理的影響としてPTSD[22]、混乱[22]や怒り[22, 23]が惹起される。「怒り」の背景には、感染への恐れ、欲求不満、供給物資不足、情報不十分、経済損失や偏見があるとされている[22]。精神疾患としては、うつ病、不安障害とストレス関連疾患のリスクを高める[23]。児童青年期での抑うつ症状と不安症状も確認されており、制限の強度より制限の期間が影響する[24]。対策には、交流機会を確保することが重要で[22]、効果は未確認であるが遠隔面接技術は有望である[25]。
行動の制限は「怒り」の感情を惹起させ、内に向かうと自殺行動につながるが、他人に向かう衝動性や攻撃性は、暴力に発展するリスクがある。外出自粛など、日常生活における行動の制限は、課題を持つ家庭内での生活時間を長くし、家庭外の友人・支援者との接触頻度を低下させる。COVID-19のパンデミックにより、家庭内暴力の発生頻度の高まり、特に女性への被害が懸念されており、家庭内暴力・性被害の相談体制の充実や遠隔支援方法の必要性が指摘されている[26]。「二次的パンデミック」とも呼ばれる児童虐待は、親のストレス増加・支援頻度低下、また既に確認されている救急外来への駆け込み受診の減少・家庭内アルコール消費の増加などから高まる可能性がある[27]。
COVID-19では確認されてはいないが、飲酒行動は、自殺リスクのひとつである。特に飲酒をして自殺行為に及ぶリスクは高く、メタ解析によると、自殺直前の飲酒の自殺リスクは非飲酒の場合の7.0倍 (95%信頼区間: 4.8-10.2倍)で、大量飲酒の場合は37.2倍(同: 17.4-79.5倍)となる[28]。
自粛とは異なり、一定の強制力のある隔離を伴う感染者を対象とした宿泊療養・自宅療養施策は、メンタルヘルスへ影響する。強制力を伴わない自粛の方が、メンタルヘルスへの影響は軽微であり[22]、隔離される者が隔離に積極的に参画することを促す工夫は、本人の精神的負荷を低減させる可能性がある。なお、感染症ではないが、精神科入院医療における隔離・身体拘束の最小化に関する研究や経験から、強制力の程度が軽微な他の代替的方法の開発、隔離解除までの計画を説明すること、本人に複数の選択肢を提示して選択させること、不服のある場合の相談方法を伝えておくことは、確立された方策である。効果検証は十分ではないが臨床で用いられている代替的方法には、感覚刺激物(クッションやストレスボール)のほか、タイムアウト、常時観察、間歇的観察や開放的空間での隔離などがある。
COVID-19は、経済へ深刻な影響を与えており、世界銀行は1870年以降で最大規模の不況としている[29]。好況・不況の経済循環や経済危機と自殺との関連は、2008年前後の世界金融危機以降に発表された総説・メタ解析報告によって、経済危機と自殺率の上昇が確認されている[30-33]。特に、開発途上国で不況と自殺率との直接的な関係が顕著であった[32, 34]。開発国においても、短期的な自殺率の上昇に、失業率の上昇[35]や経済的な不確実性[36]が関連する。非正規雇用の職員・従業員数の減少と自殺者数の増加が関連する可能性があるとの報告がある[37]。
ヨーロッパ諸国における影響は、強力なセーフティネットのある国では減弱し、労働政策プログラムや社会保険は、失業の自殺率上昇の影響を抑制していた[30]。収入や雇用の確保そして保健・社会的支援に代表される社会的包摂性(social inclusion)のある仕組みが整備されているヨーロッパの国では、国内総生産と自殺率は逆相関がみられている[34]。国民健康保険のあるカナダ、効果的で効率的な保健制度のあるオーストラリアやニュージーランドでも同様とされている[34]。労働市場プログラムは、失業の自殺への影響を抑制していた[35]。なお、米国では経済成長率と自殺率とに負の関連が、失業率やインフレと自殺率は正の関連があり[38]、この傾向は米独の比較でも確認されていた[39]。
なお、失業期間が自殺率と関連することにも注意が必要である。自殺率は失業後5年以内が高く、その後低下するが、失業が15年を経過すると再び高まる[40]。
過労死等防止対策白書によると、自殺に関する労災認定事案(2015~2016年度における167件)のうち101件(60.5%)は、精神疾患治療のための医療機関への受診歴はなかった[41]。国際的に自殺者の83%は、自殺前の1年間(66%以上は直近1カ月)に、かかりつけ医を受診している[42]。また、COVID-19で呈する「不安症状」「うつ症状」の中には、誰もが経験する異常事態に対する正常な心理的反応も含まれている。
COVID-19という異常事態への正常な心理的反応という段階から自殺に至るという連続的な事象の対策には、社会の「仕組み」の整備が求められる。自殺には多元的背景があり、「ひとつ」の対策(one-size-fits-all approach)では、十分に効果のある予防は期待できない。あらゆるポピュレーションレベルアプローチと個人レベルのアプローチを組み合わせる必要がある[42-44]。
ランダム化比較試験(randomized controlled trial: RCT)が少ないためにエビデンスは限られているが、【図1】に希死念慮から自殺に至るプロセスに対応した自殺予防戦略のターゲットと予防方法を俯瞰的に示す[42]。
「ポピュレーションレベル」のアプローチには、COVID-19に関するストレスフルな事柄の除去・緩和、教育・啓発活動、希死念慮のスクリーニングとフォローアップ、自殺手段のアクセス制限とメディアガイドラインの順守がある。メタ解析[43]によると、自殺手段(特に農薬)と自殺多発ポイントへのアクセス制限、学校での啓発プログラムの効果が確認されていた。一方「個人レベル」のアプローチでは、うつ病への薬物・精神療法の自殺予防効果が明らかであった。なお、その他にも多様な方法があるが、RCTが限られているために予防効果の評価を確認するまでには至っていない。
本章では、これまでのエビデンスをベースに、社会での整備が望まれると著者らが考える仕組みとして、段階的アプローチと社会経済的観点からの施策を例示する。
図2 |
自殺予防戦略のターゲット* |
希死念慮から自殺に至るプロセスに対応した自殺予防戦略のターゲットと予防方法を俯瞰的に示す |
*Mann JJ et al. (JAMA 294: 2064-74, 2005) を改変し、COVID-19に関連する内容**を追記 |
COVID-19は、自殺に関連する課題やニーズがあらゆるセッティングで増加する一方で、そのニーズを受け止める専門家の絶対数は限られている。また、すべてが専門治療を必要とするCOVID-19は、自殺に関連する課題やニーズがあらゆるセッティングで増加する一方で、そのニーズを受け止める専門家の絶対数は限られている。また、すべてが専門治療を必要とする場合とはいえず、異常事態への正常な心理的反応という段階から自殺に至るという連続的な事象の対策に「段階的」なアプローチが求められるのは必然ということができる。COVID-19に関連する支援方策として、スクリーニング、アセスメント、ハイリスク者治療という3段階のアプローチを【表1】に示す[45]。なお、スクリーニングはすでに2~9項目の尺度による簡便な方法が開発され[44]、我が国でも実臨床で用いられている。
段階的アプローチは、誰もがメンタルヘルス支援のフロントラインにいることを意識し、関わり、経過をみて徐々に支援を濃厚にしていき、必要なタイミングで専門家と連携するというモデルである。支援者が専門家のコンサルテーションを受ける機会が常時担保されているとさらに望ましい。感染症のみならず、地震や風水害などにおける自然災害においても、国内外で推奨されている「心理的応急処置」[46, 47]は同様の考え方である。「害を与えない支援」「現実的な支援」および「被災者自身の対処能力を高めること」を基本とする。
表1 |
段階的アプローチ |
段階的アプローチの内容を、JAMAの内容から表にしたもの |
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JAMA. 2020 Oct 20;324(15):1493-1494を改変・追記 |
なお、段階的アプローチに近接し、うつ状態や不安状態への支援において最もエビデンスの高い方法は、「共同ケア」(collaborative care)である[48-50]。もともとは糖尿病患者のうつ状態への支援モデルとして開発され[50]、心臓病やがんなどの非感染性疾患とうつ状態・不安症状の併発患者への支援へと拡張されている。共同ケアの効果のエビデンスレベルは高く、うつ状態と不安症状の問題に対する長期的な効果も確認されている[49]。共同ケアとは、うつと不安に関する研修を受けたケースマネジャーが患者と定期的にコンタクトを持ち、必要な場合にかかりつけ医とメンタルヘルスの専門家との間を調整するモデルである。段階的アプローチは、この「ケースマネジャー」の機能に柔軟性を持たせた汎用アプローチと考えることができる。このことは、段階的アプローチにおけるケースマネジャー機能の質の担保が重要であることを意味する。
自殺対策における社会経済の観点からの緊急対策は重要である。令和2年自殺対策白書[51]においても、「学校の休校、緊急事態宣言による活動自粛要請が行われ、収入の減少、事業不振、雇用不安等の影響」があり、「新型コロナウイルス感染症拡大の第2波、第3波とそれによる経済への影響の可能性」が指摘され、「事業者に対する融資、雇用維持の支援、緊急小口融資等の支援策」および「支援情報ナビ」等による情報発信が行われていることが述べられている。
労働政策プログラムや社会保険など、セーフティネットが充実している国では、経済の自殺への影響を抑えている可能性が示唆されていた。我が国においても、2008年前後の世界金融危機の時期での自殺率の変動は小さい。自殺率が上昇した1998年以降の一連の自殺予防対策、そして2006年の自殺対策基本法の施行により、国際的にも標準的な自殺対策がすでに機能している可能性がある。雇用維持施策などの財政政策に加え、自殺総合対策大綱に基づく緊急対策が、着実に進められることを願う。
さらに、ここでは、前章でまとめた国際的な知見から、我が国で取り組むべき次のステップについての私見を述べる。すなわち、緊急対策と並行して進める、パンデミック収束後の人的資本の強化につながる中長期的観点からの施策である。
今後も新興再興感染症の新たな脅威の可能性は続く。また、自然災害は、わが国が乗り越えるべき最大の危機のひとつである。マグニチュード8~9クラスの南海トラフ地震は30年以内に70~80%の確率で起きるとされ、マグニチュード7クラスの首都直下地震の30年以内の発生確率は70%である。全国の市町村の97%は河川の氾濫などの水害を10年間で経験しており、風水害は近年特に激甚化している[52, 53]。
中長期的な施策で特に重要と考える領域は、第1に、失業支援におけるリカレント教育など、その後の雇用につながる要素である。第2に、教育機関での機能の低下は、中長期には、学力の低下につながるため、補完する施策が求められる。第3に、施策とその効果の検証を組み込み、求められるターゲットグループに効果的な施策が適時に行われるためのエビデンスに基づく計画・実施・検証・改善のサイクルの構築が必要である。よりよい復興(Build Back Better)を目指し、感染症や自然災害に強い(レジリエントな)社会づくりにつながる仕組みを組み込むことが望まれる。
マスメディアの報道に影響されて自殺が増加する事象は国内外で確認されている。特に、著名人の自殺に関する報道は、子どもや若者、自殺念慮を抱えている人に強い影響を与え、「後追い自殺」を誘発しかねないため、厚生労働省も、メディア関係者への注意喚起を促している[54]。基本となるWHO『自殺報道ガイドライン』の概要を【表2】に示す。
2020年の動向から、著名人の自殺後に自殺者数の増加が認められる。マスメディアは、自殺報道を過度に繰り返さないこと、また報道時には自殺と自殺対策についての正しい情報を報道することなど、報道の在り方を注意することが、引き続き求められている。
ただし、著名人の自殺後の自殺者増をマスメディアの影響のみではない。それまで蓄積されてきた潜在的課題が、著名人の自殺を契機に顕在化したという認識が必要で、背景にある潜在的課題への対応が求められる。
表2 |
WHO(世界保健機関)によるメディア関係者に対する自殺報道ガイドライン(抜粋) |
厚生労働省のホームページから |
【自殺関連報道として「やるべきでないこと」】 報道を過度に繰り返さないこと/自殺に用いた手段について明確に表現しないこと/自殺が発生した現場や場所の詳細を伝えないこと/センセーショナルな見出しを使わないこと/写真、ビデオ映像、デジタルメディアへのリンクなどは用いないこと 【自殺関連報道として「やるべきこと」】 有名人の自殺を報道する際には、特に注意すること/支援策や相談先について、正しい情報を提供すること/日常生活のストレス要因または自殺念慮への対処法や支援を受ける方法について報道すること/自殺と自殺対策についての正しい情報を報道すること |
メディア関係者へ著名人の自殺に関する報道にあたってのお願い. https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/who_tebiki.html |
医療提供者が従事する環境は、COVID-19に暴露するリスクは高く、メンタルヘルス上の問題を呈することが指摘されている[16] 。国際的には、感染症と医療関係者のメンタルヘルスに関する研究成果が蓄積されてきている[55-57]。メタ解析の結果によると、(1)医療関係者は、健康不安、不眠、精神的苦痛、バーンアウト、不安、うつ症状、PTSD、身体化、偏見を受けたことによる偏見を経験する頻度が高い[56]、(2)感染へのリスクの高い業務に従事した医療関係者には、PTSDおよび精神的苦痛が認められ、特に若年、短い専門職歴、養育中、感染家族あり、長期隔離、実支援なし、社会からの偏見を体験した者にリスクが高い[56]。
COVID-19のパンデミックでは、人工呼吸器やECMO(extracorporeal membrane oxygenation)による治療可能な患者数に限りがあることが認識された。患者の急増により医療が逼迫した場合、限られた医療資源の優先順位付けが医師に迫られることになり、そのために惹起されるメンタルヘルス上の問題として、「モラル損傷」(moral injury)がある 。「臨床上で直面する個人の道徳・倫理規範を侵害する行為による心理ストレス」[58-60]と定義される状態で、もともとは軍隊や退役軍人への支援を通じて発展した概念である [60]。PTSDと近接するものの、PTSDとは異なる脳画像所見も報告されている[61]。救急などの医療現場や初期研修の場面など、COVID-19以外においても【表3】に例示するような場面が想定でき、COVID-19治療にあたる医療現場における早期支援とアフターケアの必要性が指摘されている[58]。
表3 |
モラル損傷となる可能性のある場面の例* |
Greenbergらの論文の表の一部を翻訳(一部意訳)して作成 |
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Greenberg N, et al. BMJ 368: m1211, 2020.の表の一部を翻訳 |
COVID-19に直面する以前から、医療関係者、特に医師の高い自殺率とその対策の必要性[5]は、海外で議論がなされてきた[5,6,62,63]。COVID-19は、メンタルヘルスの問題やモラル損傷を通して、自殺念慮や自殺行動のリスクを高める可能性がある。メタ解析によると、生涯のうちで自殺念慮を持つ割合は、医師の17.4% (95%信頼区間: 13.8-21.8%)、自殺企図率は8.6% (同: 5.6-13.0%)と推計されている [62]。女性医師の方が男性医師より自殺念慮が高いとの報告もある[6]。最近の米国での医師の自殺に関する研究では、一般人口とは異なり家族問題のリスクは低く、仕事上の問題や健康問題によりリスクが高いとの結果が報告されていた[63]。介入方策としては、医師個人への介入に一定の効果が認められている。また職場環境の改善の必要性も指摘されている[64]。
医療関係者はCOVID-19によりメンタルヘルス上の問題に直面するリスクは高く、医師は困難な場面に直面する場合もあり、従来から医師の自殺率の高さは認識されている。しかし、医療関係者、特に医師のメンタルヘルスへの支援の整備は立ち遅れている。海外では、医師のバーンアウトの問題が注目されているが、その背景には、医師のメンタルヘルス上の問題を正面から取り上げにくいという事情が背景にあるとされている[65]。誰でも生涯のうちには経験することが一般的であるうつ病や不安障害は精神疾患に分類されるが、疾患単位ではないバーンアウトとして取り扱う方が受け入れやすいためである。
この問題は、医師などの医療関係者に限らず、メンタルヘルス問題での偏見(スティグマ)と援助希求行動のメカニズムとして研究されてきた。メンタルヘルス問題に対する偏見が、いかに希求行動を阻害するか、どのような促進要因があるのかの研究成果をまとめたものが【図2】である[66]。メンタルヘルス問題を呈する住民が自然災害時に適切なメンタルヘルス支援を躊躇・拒否することも、同様の要因が背景にあるとされている[67]。教育が知識・偏見・希求行動の改善に効果があるとの結果も報告されつつある[68]。
対策の第1は、医療関係者・医師のメンタルヘルス問題への考え方を変えることである。ただし、それには時間がかかるために、対策の第2として、臨床・公衆衛生上の仕組みで述べた「段階的アプローチ」の仕組みを構築し、第3としてマスコミがこの仕組みを推奨することが望ましい。
図3 |
メンタルヘルス問題でのスティグマ・希求行動のメカニズム* |
メンタルヘルス問題に対する偏見が、いかに希求行動を阻害するか、どのような促進要因があるのかの研究成果をまとめた図 |
*Clement S, et al. (Psychol Med 45: 11-27, 2015)を改変 |
本論では、COVID-19と自殺に関するこれまでの知見から、現状と対策を包括的に論じた。あらゆるポピュレーションレベルアプローチと個人レベルのアプローチを組み合わせる必要がある。まだ安定した結果を示す段階ではないが、最後にPTSD対策の一環で近年検討が深められているトラウマ体験後の成長(posttraumatic growth)[69]に関する文脈を紹介して本論稿を終える。トラウマ体験後の成長の存在は確認されつつあるものの、同時にPTSD症状軽減のための支援を続けるべきとの示唆は合理的である [70]。国際的にコロナ禍をはじめとする新興再興感染症のリスクは続き、わが国では自然災害に直面するリスクも高い。これらを受け止め、成長につなげるためには、これまでの経験を社会が学び、個人が立ち向かいやすくなる支援を粘り強く整備する以外にない。わが国が一層レジリエントな社会になることを願う。